第170回文楽公演 「曽根崎心中」


冬の日曜日の国立劇場周辺はじつに寂しいものだ。地下鉄半蔵門駅出口を出てから劇場までの道すがら、開店しているお店は中華料理店だけだ。これから華やかな舞台を観に行くという高揚感がそがれてしまう。

国立劇場そのものも皇居に面している劇場玄関は立派なのだが、ほとんどの観劇客が通ることになる地下鉄からの道は裏通りであり、劇場の駐車場の中を通るようなことになる。つまり普通の観客のことなどは全く考えていない劇場だ。黒塗りの専用車で来場する特別な客のための建物のようだ。

今回は幕間の食事を2階食堂でとった。この食堂は大劇場と小劇場の兼用で、中にそれぞれの客を分けるための仕切りがある。環境問題や経費削減を考えてのことかもしれないが、大劇場側の照明は消されている。つまり、客は寒々としてガランとした、部屋半分が暗いなかで食事をとることになる。ここが日本が世界に誇る演劇文化の殿堂なのだ。

気を取り直そう。今回は文楽を愛する友人の配慮で、観劇前にイヤホン解説者の高木秀樹氏のお話を2時間あまりにわたって伺った。

まずは第1部の解説だ。『花競四季寿』は文楽には長めの踊りの舞台なので、ポカンとしてみていると50分は長く感じるかもしれないとのこと。見どころは100才になった小野小町の物狂いだという。人間国宝鶴澤清治による三味線が当然の聴きどころ。『嬢景清八嶋日記』はこれからの文楽を背負ってたつ豊竹咲大夫、吉田玉女、桐竹勘十郎を見るべきだという。島流しになった盲目の景清が、訪ねてきた娘を見ようと見えぬ目をこじ開ける場面に注目するべきだという。

第3部は文化功労者に認定された人形遣いの吉田蓑助が見ものだ。日本の文化関係の褒章は人間国宝文化功労者文化勲章の順に授賞するものだという。現在、文楽には人間国宝が大夫、三味線、人形使いそれぞれ2名づつ、そのうち文化功労者竹本住大夫と吉田蓑助だけだ。文楽からは文化勲章受章者はいまだないので、関係者は期待しているのだという。

さて、その第3部の「曽根崎心中」は文楽でも歌舞伎でもおなじみなのだが、意外にも1703年の初演からしばらくは上演されていたものの廃れてしまい、1953年に歌舞伎で復活上演された演目だ。文楽では3段2時間の上演である。「あらすじ」はwikipediaをご覧いただくとよい。じつはこの「あらすじ」に加えるディテールはほとんどない。したがって、舞台はサクサク進む。

遊女屋「天満屋」の縁の下に隠れる徳兵衛がお初の足首を自らの喉笛にあてて、死の覚悟を伝える場面が有名だ。文楽人形は10等身以上だから、そのさまが歌舞伎以上になまめかしい。お初の顔と足が離れているため、軒の上では悲劇が進行中だが、下では悲劇に落ちるまでの二人の睦み合いを想像させる。

「天神森」の段はあまりに有名な「この世の名残り」の道行だ。長くなるが引用すると

「この世のなごり 夜もなごり 死にに行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜 一足づつに消えて行く 夢の夢こそあはれなれ あれ数ふれば暁の 七つの時が六つ鳴りて 残る一つが今生(こんじょう)の鐘の響きの聞き納め 寂滅為楽(じゃくめつ いらく)と響くなり」

やはり近松門左衛門は天才だなと思う。もちろん、今回の舞台も大満足。

ところで、文楽関係者は金銭的には恵まれていないという。人間国宝でも電車通勤しているし、東京での公演ではウィークリーマンションに泊っているという。しかも。人間国宝クラスは70-80台の大御所である。「60台の中堅」や「40代の若者」などは本当に大変であろう。歌舞伎役者は海老蔵菊之助など20代で大スターだが、文楽では見習いに毛が生えたようなものである。

文楽は歌舞伎にくらべ舞台の観客数が少ないこともあるのだが、本拠地の大阪の客の入りが良くないらしい。東京では住大夫などの公演はプラチナチケットになりつつあるが、大阪では吉本に食われてしまうらしいのだ。このあたりに大阪の経済的な没落の遠因があるとおもう。先進国のどの大都市も文化を重視していることだけは間違いないのだ。