壽初春大歌舞伎 平成中村座・昼の部
2012年1月は新橋演舞場、国立劇場、平成中村座、ル・テアトル銀座、浅草公会堂、大阪松竹座の6劇場で歌舞伎が上演されている。これは戦後最多だそうである。もはや、お財布的にも時間的にも、贔屓の俳優が出演している劇場にしか足を運べそうにもない。お能も文楽も観客が押し寄せているらしく、何百年前の演劇を当時のままの形で、しかも日常的興行として、大入りになっている国は日本だけかもしれない。
東京博物館の特別展「北京故宮博物院200選」もものすごいことになっているらしく、1月18日の朝にふと思い立ってトーハクのサイトを見たところ、博物館への入場は80分待ち、目玉である「清明上河図」に至っては240分待ちとのことだった。異常である。歌舞伎も美術館も「団塊世代の暇潰し」だけで混んでいるとも思われない。意外にも若いカップルなども混じっているのだ。
それもそのはず、歌舞伎は花形がすこぶる良い。染五郎(73)、松緑(75)、亀治郎(75)、菊之助(77)、海老蔵(77)、勘太郎(81)、七之助(83)、梅枝(87)。それぞれ力強くて美しい。愛之助は同年代の72年生まれなのだが、すでに中堅という感じがするのが不思議だ。
平成中村座1月昼の部は、獅童の忠信、梅枝の静御前、萬太郎の義経、亀蔵の弁慶で「鳥居前」からだ。千穐楽も近いので、諸家の劇評やブログを参考に見てから劇場に足を運んだ。多くの人が褒めているように梅枝・萬太郎兄弟の気品が目立つ。というより、目立とうとしないから目立っている、という印象だ。とはいえ、舞台はあと2日で終わりというリラックスした雰囲気が感じられる。それはそれで良いと思う。梅枝は新橋演舞場との3舞台掛け持ちだったのだ。お疲れさま。
中村座の良いところは、ほかの劇場とはまったく異なる観客がいることだ。勘三郎の一挙手一投足を、いまかいまかと待ち構え、大笑いするために来場している人が半分ほどもいるのではなかろうか。いびきのように鼻を鳴らす様式としての「元禄見得」で大笑いすることなど朝飯前だ。彌十郎の奥方と組む勘三郎の「身替座禅」はまさにその観客への直球演目だ。もはや、その流れに身を任せて笑うしかないのだが、それはそれで本当に面白いと思う。この演目で完成の極みにある勘三郎と彌十郎のコンビに獅童が絡んだのだが、獅童は小さく見えた「鳥居前」よりこちらのほうがはるかに良い。昨年12月の勘太郎の「車引」の印象が強すぎたのかもしれない。
「直侍」といえば菊五郎劇団だ。菊五郎の直次郎、田之介の丈賀、時蔵の三千歳、団蔵の丑松、大蔵と徳松の蕎麦屋夫婦がもはや定番だ。菊五郎が蕎麦を食うのを見るだけで、いいものを見たとなあいう本当に不思議な演目だった。ところが今回の中村座では大口屋寮の場のほうが印象に残った。ひとつには蕎麦屋の夫婦が良くなかったことがある。「天はヤマになりました」などという台詞がはっきり聞こえない。蕎麦汁の匂いが劇場真ん中まで漂ってくるという過剰演出も気になった。いっぽうで、大口屋寮の場の橋之助と七之助はじつに生々しく絡み、エロティックだ。
ところで、直次郎は回向院下屋敷に葬られるのを覚悟すると言うのだが、この回向院下屋敷とは本所回向院が小塚原の刑場を持地とし、ここを別院の常行庵としたところだ。これが千住小塚原回向院の始まりだ。小塚原の由来は刑死者の遺体が白骨化して散乱していたことから「骨が原」だったとも言われている。当時の観客の常識であったであろう。現代的な笑いで楽しめる「身替座禅」と江戸タイムトリップを楽しむ「直侍」の落差は見た目以上に大きいのだ。