「海老蔵に『酒飲み五戒』を贈る」 文藝春秋2月号掲載

文藝春秋 2011年 02月号 [雑誌]

文藝春秋 2011年 02月号 [雑誌]

2月号は1月8日発売だった。大相撲1月場所の初日である。選手交代。

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歌舞伎ファンが楽しみにしている公演のひとつに「團菊祭」がある。毎年五月に開催されるこの公演は、歌舞伎界の大名跡である成田屋市川團十郎音羽尾上菊五郎が揃って舞台を踏むことにちなむ。團、菊ともに江戸歌舞伎の継承者なのだが、それぞれ成田屋は「暫」に代表される荒事を、音羽屋は「弁天小僧」に代表される白波物などを得意としているため、双方を同時に観ることができる團菊祭はまさに江戸歌舞伎の真骨頂なのだ。

ところで、いうまでもなく海老蔵團十郎の後継者であり、菊五郎の後継者である菊之助の同級生だ。平成二十二年の両者の公演記録を見ると面白いことに気がつく。菊五郎菊之助父子は二月、六月、八月を除く九か月も出演し、すべての月で親子共演している。

いっぽうで團十郎海老蔵父子はそれぞれ五か月出演したが、親子共演しているのは四月だけだった。この年の四月は歌舞伎座最後の月であり、すべての人気役者が揃う公演だったから、とりたてて親子共演と考えるべきではない。平成二〇年に白血病で骨髄移植を受けたばかりの團十郎の出演が少ないのは理解できるが、海老蔵の出演も同様に少ないことが不思議だ。しかし、もっと不思議なのは親子共演の少なさである。音羽屋が師匠と弟子として芸の伝承を延々粛々として進めているのに対して、成田屋は子供が親を疎んじているのか、挑んでいるかのようにも見えるのだ。

 
それでは海老蔵はこの年、どのような公演に出演していたのであろう。調べて見ると「新春花形歌舞伎」、「御名残四月大歌舞伎」、「五月花形歌舞伎」、「八月花形歌舞伎」、「九月大歌舞伎」の五つであった。

歌舞伎において花形とは若手の意である。古くからの歌舞伎ファンは若手役者の成長具合や将来性を見極めようと花形公演にたまに足を運ぶのであって、人間国宝たちが演じるような完璧な舞台をはなから期待していない。数十年後に「海老蔵時代の当代団十郎は目力だけが取り柄だった」などと孫に薀蓄をたれたくて劇場に向かうひともいるはずだ。

しかし、最近では花形歌舞伎のチケットを買う多くの人は、海老蔵中村獅童などのファンである可能性が高い。いわゆる「追っかけ」である。ワイドショーの芸能コーナーにも登場するが、普通の俳優とはちょっと違う雰囲気をもつ人気者を見に行くのであろう。童話の中の王子様に憧れていた層とでもいうべきであろうか。

つまり、海老蔵は師匠としての親から離れ、若手の頭目として半年だけ働き、ワイドショーを賑わせながら、少女の心を持った観客を集めていたように見える。このような状況ではちょっとした事件だったとしても、ワイドショー的には大事になってしまうのは当然だ。

歌舞伎の一等席は一万五千円もするのだ。お茶の間で見ることのできる、海老蔵の現代版「助六」に人気が集まるのは仕方がないことであろう。海老蔵は甘んじて大衆の裁きを受ける必要がある。

いっぽうで、古くからの歌舞伎ファンはもっと長い目で見ているはずだ。いわば新之助で一幕、海老蔵で二幕、團十郎で三幕というような、半世紀がかりの芝居をみているようなものだ。長い芝居だから途中で役者に消えてもらっては大変困るのである。当然、事件後の会見に出席した海老蔵の顔を見てほっとした人が多かったことであろう。

半世紀の長さとはいえ、芝居なのだから親子の葛藤、師匠と子弟の確執、夫婦の危機、敵方の登場、濡れ手に泡の稼ぎと散財、派手な殺陣まわし、などが自然に演じられることを期待するのである。その意味で成田屋はまさに梨園の立役者なのである。万遍なくこなしていて粗相がない。

古くからの歌舞伎ファンのなかには、海老蔵の不行跡はともかく、舞台に穴をあけたことだけは許せないという人もいよう。しかし、海老蔵は当代随一としても花形役者でしかない。かわりの舞台を坂東玉三郎が勤めることに、不満をいうような歌舞伎ファンは少ないのではないか。

海老蔵の「新春花形歌舞伎」の代りに玉三郎が「阿古屋」を演じると聞き、あわてて切符を手配した人のほうがはるかに多いであろう。「阿古屋」は玉三郎しか演じることのできないじつに難儀な役だ。地方巡業などをのぞくと、五年に一度程度しか見ることができない演目である。よくぞ、海老蔵は謹慎してくれたと感謝している玉三郎ファンもいるかもしれない。

十二月の京都南座での顔見世大歌舞伎では片岡愛之助が「外郎売」を勤めた。愛之助は十三代代目片岡仁左衛門の部屋子として歌舞伎界にデビューし、のちに当代仁左衛門の兄である片岡秀太郎の養子になった。玉三郎と同様に梨園の出身者ではないが、まごうことなく関西歌舞伎の後継者の一人である。

真っ当な関西の歌舞伎ファンであれば、愛之助の「外郎売」が嬉しくないわけがないはずだ。江戸歌舞伎成田屋お家芸を関西の役者が演じるのであるから、関西歌舞伎界にとっては歴史的快挙なのである。

ことほど左様に、海老蔵はみずからの不行跡をもって歌舞伎ファンサービスに勤めたといっても良いかもしれない。じつはこれこそが歌舞伎の醍醐味なのだ。歌舞伎を知らない人にとっては皮肉を言っているように聞こえるかもしれないが、何十年という観劇人生の語るべきエピソードの一つでしかないのである。

ところで仮名手本忠臣蔵は歌舞伎の代表的な演目である。平成十六年の海老蔵襲名以来、海老蔵忠臣蔵を演じたのは早野勘平と斧定九郎くらいなものであろうか。海老蔵は新しいことには挑戦するが、「芝居の独参湯」と呼ばれるこの有名な演目には馴染はないようである。

その忠臣蔵の主人公である大星由良之助こと大石内蔵助は酒飲み五戒を残している。かならずや将来、由良之助を演じることになる海老蔵に送っておこう。
一、喧嘩口論の事。
一、下に置くべからず。
一、おさえ申間敷事。但し相手によるべし。
一、したむべからず。
一、すけ申間敷事。但し、女中にくるしからず。 
である。すなわち
酒飲みの掟として、酒席では喧嘩口論はもってのほかだ。盃を置いたままにしてはならない。人に無理強いをしてはならないが、酒飲み相手であればその限りではない。酒をこぼしたりしてはいけない。人の分まで飲むような意地汚いことしてはいけないが、酒が飲めない女性の代りに飲むのはよろしい。というほどのことであろう。