成毛真の「これって暴論?」 第3回

 

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 04月号 [雑誌]

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 04月号 [雑誌]

文楽という・ソフトウェア

橋下徹氏が大阪府知事として関西政界に登場して以来、一貫して文楽への補助金をカットする政策を取り続けている。2013年度は補助金を前年度と同額の3900万円とした上で、国立文楽劇場の有料入場者数が9万人以下なら2900万円を減額するという。日本人に対して文楽そのものを人質にし、見に来なければお取り潰しにするぞと脅したようなものである。

ちなみに大阪市の12年度の予算は3兆6000億円あまり、大阪府と合わせると7兆5000億円にもなる。橋下氏は予算削減を狙うというよりも、大阪公演での入場者数が少ないことに腹を立てているとしか考えられない。東京の文楽公演は満席が続くのだから、大阪人同士の近親憎悪なのかもしれない。

江戸時代初期に大阪で誕生した人形浄瑠璃は、その初期形態をいまだに維持している世界でもまれな芸能だ。300年以上も前に使われていた大阪弁で、聞きなれない太棹三味線の旋律にあわせて物語を語るのだから、聞き流してしまうとまったく理解できないこともある。初心者はイヤホンガイドがなければ10分で飽きる可能性がある。しかし、そのこと自体に価値があると思うのはボクだけなのだろうか。

文楽の祖である竹本義太夫の数十年前に活躍したシェイクスピアも当然のことながら当時の言葉で作品を書いていた。英語史では初期近代英語と分類される。初期近代英語で"You have no friend."を表すと"Friend hast thou none."だ。文楽と同様、ネイティブ・スピーカーですら注意深く聞いていないとわからなくなるという。イギリスでは初期近代英語を使ったシェイクスピア劇は娯楽というよりは知的・趣味的な色彩が強い。

そのためイギリスでは当時の言葉のままでシェイクスピア劇が毎日演じられる常設劇場はないし、文楽の大夫のような初期近代英語専門の俳優もいない。建国250年にも満たないアメリカはそもそも伝統演劇を持っていない。京劇は中国の古典演劇として知られているが、文化大革命期には演じられることもなく、1990年にやっと200周年のイベントを行った程度だ。

翻って日本では、300年前にはじまった文楽はむしろ新しい芸能であり娯楽だ。世阿弥によって確立された能は以来600年以上の歴史を持ち、いまでも観世流だけで東京に70ヵ所もの稽古場をもっているほど盛んだ。宮中でいまも継承されている雅楽にいたっては1000年の歴史を持つが、現代においても東儀秀樹などのスターを生み出している。

もちろん、ギリシャ悲劇やローマ時代の演劇など、能や文楽などよりも1000年以上前に盛んだった演劇もあるが、現代は行われていない。演劇における日本の特殊性はそれが始まったころの演劇様式をそのまま何百年も継承してきたことだ。日本にはサン・ピエトロ大聖堂ウエストミンスター寺院などのような荘厳なハードウェアはない。しかし、雅楽能楽文楽や歌舞伎といったソフトウェアは連綿と継承しつづけている。それこそが他国民が逆さまになっても絶対に手にすることができないものなのだ。何百年という時間はお金では買えないのだ。
クーリエ・ジャポン3月号掲載)