成毛真の「これって暴論?」 第2回

 

「生き方のお師匠さん」を偲んで

「父母ともに野辺の送りや花小袖」

過日、57歳の若さで亡くなった十八代目中村勘三郎の句だ。この花小袖とは歌舞伎の演目「身替座禅」の舞台で使われた衣装のことである。十八代目は先代勘三郎と母親の葬儀にあたって、その花小袖を野辺送りのお棺に掛けたという。のちに35歳になった十八代目は「四国こんぴら歌舞伎大芝居」で、その花小袖をまとい「身替座禅」を演じている。まさに父親の身替を思わせる熱演だった。

12月5日、入院中の病院から無言の帰宅をした勘三郎の布団には「船弁慶」の小袖が掛けられていた。長男の中村勘九郎と次男の中村七之助の兄弟は父親の死にあっても京都南座での襲名披露の舞台に立っていた。「船弁慶」はその演目の一つだったのだ。掛けられていたのは先代勘三郎が使っていた静御前の小袖だったのであろうか。

連綿とつづく芸の継承はこのような時でも揺らぐことがない。生前、十八代目は「型があるから型破り、型がなければ型なしだ」という言葉を何度も語っていた。舞台の上だけではなく死の床であっても型を継承しつづけるからこそ、歌舞伎は日本が世界に誇る伝統芸能なのだ。

いっぽうで十八代目は、「どうなるか判らないというのはワクワクするねえ」と食道ガンの手術で入院する前日のインタビューに答えている。次の日には10時間を要する手術が予定されていた。しかも、ガンがリンパに転移したことが判明し、生存率が12%から30%だと医師に告げられたあとのことだ。

たとえ困難が待っていたとしても、苦痛が約束されていたとしても、勘三郎は自分の身に振りかかる未来に飽くなき好奇心を持っていたのだ。歌舞伎公式サイト「歌舞伎美人」のインタビューでも、「勘三郎さんの求心力、パワーの源は?」と聞かれて、「そりゃあもう…好奇心でしょうね。思ったらすぐに行動して。それに運ですね。人と会って話すっていう事も大事ですかね」と答えている。

勘三郎の凄さは、歌舞伎古来の型をきっちりと身体の中に叩きこんでいるにもかかわらず、子供のような好奇心を死ぬまで持ち続けていたことである。子供なのだから、失敗を恐れずにあらゆることを試してみた57年だった。有名になったニューヨーク公演などはもちろん、評判芳しくない宮藤官九郎作の新作歌舞伎など、次々と新しいことに挑戦していた感がある。

歌舞伎ファンは勘三郎を見ながら、お楽しみはいよいよこれからだ。だんだん大人になるであろう、これから20年の勘三郎は如何ばかりかと、本当にワクワクしていたのである。その矢先の出来事だったのだ。

人間はかならず年をとる。いつかは50になり70になる。そのときになっても、こいつのこれからの20年が楽しみだと言われるような生き方をしてみたい。勘三郎はそのような生き方のお師匠さんだった。仕事のテクニックなどは本から学べるが、生き方を学ぶには人物を見るのが一番だ。たまには本を捨て、劇場に向かおう。

クーリエ・ジャポン 2月号掲載)