八月納涼大歌舞伎 第一部

天保遊侠録」は勝海舟の父親である小吉のお話だ。「江戸っ子」は宵越しの金を持たない職人たちが相場だが、下級幕臣も立派な江戸っ子だった。じっさい勝海舟の江戸弁もじつに粋だったらしい。小吉役は橋之助、馴染みだった芸者の八重に扇雀、小吉の甥に勘太郎という配役だ。

橋之助は江戸弁の台詞まわしが達者で良かった。それ以上の出来に驚いたのは扇雀だ。どうしても先代扇雀、すなわち藤十郎のねっとりとした上方イメージを持ってしまうのだが、この狂言ではいま売りだし中の江戸っ子芸者そのものになっている。小粋でいなせだ。最後の場面で、廊下から座敷の様子を神妙に聞いている姿は、江戸芸者の心意気を感じることができる。じつにいとおしい。勘太郎もよく役柄をわきまえていて橋之助を引き立てている。

弥十郎も「ご常法ならば仕方なし」と泰然とせざるを得ない殿様を演じていて、敵役になりきらないところが良い。とはいえ、すべてがまとまりきって、計算されている感じの舞台であり、ゆるみが少ないような気もする。ボクが江戸末期の、退廃的で、ある意味で投げやりな芝居が好きだからであろうか。菊五郎劇団であれば、ずいぶんと雰囲気が違うものになるかもしれない。

六歌仙三津五郎の大舞台だ。よほどやってみたかったのであろう。しかし「舟長」であまりに素晴らしい踊りを堪能したあとでは、長すぎる舞台である。長いがゆえに、後年「ほらほら奥様、20年前の歌舞伎座さよなら公演のときの三津五郎六歌仙はねぇ・・・」なんてお喋りを楽しめるであろう、記憶に残る舞台でもある。

勘三郎がお梶で出てくるのだが、なんだかキンチョールの宣伝に出てきそうな小太りの主婦という感じだ。何を意図しているのか最後まで不明だった。踊りの最後に思いっきりこけたりして笑わせるのかと思うほど妙だったのだ。