平成中村座12月大歌舞伎 昼の部


12月の平成中村座、昼の部は「菅原伝授手習鑑」からの3幕である。じつのところ平成中村座は初めてだ。どうせテント小屋だから、まわりの騒音が聞こえるだろうし、座席もしっかりしてなくて座りにくかろうと敬遠していたのだが、やはりそうだっだ。船のエンジンの重低音、救急車のサイレン、うるさいうるさい。足元は寒いし、椅子も硬くてお尻が痛くなる。しかし、それを覚悟で平成中村座初登場の菊之助見たさに、のそのそと浅草まで出張ったというわけだ。じつはさほど期待はしていなかった。

ところがしょっぱなの「車引」が本当に素晴らしかったのだ。梅王丸の勘太郎に雷神風神でも舞い降りたかのごとくの大活躍。動きにキレがあり、そりゃあもう力強くて、カッコいいったらありゃしない。テントも破れよとばかりの声の張り。30分間にわたって、ただ立っているだけでも満身に力を入れ続けていることが良く判る。桜丸の菊之助勘太郎につられるように力がみなぎり、相変わらず口跡も素晴らしく、見入ってしまう。扇雀の長男、虎之介もすっとしてじつにきれい。いやはや良いものを見せてもらった。勘九郎襲名に先駆けた公演に相応しい。勘三郎とは同い年。勘三郎はこんな息子をもってじつに幸せであろうと嘆息した。

さらにところがである、それに続く「賀の祝」と「寺子屋」が良くなかったのだ。そもそも「菅原伝授手習鑑」は丸本物だから義太夫がはいる。平成中村座では舞台設計上、その義太夫の床が舞台に対して真横を向いているのだ。つまり、太夫は観客にではなく役者に向いている。客席に太夫の声は半分しか届かない。しかも「賀の祝」の一番手の太夫の声が小さい。これでは役者がどんなに頑張っても、迫力のないことおびただしい。

「賀の祝」の前半は時代物なのだが、新悟がひとり世話物を演じていて気になって仕方がない。松王丸の袖を引くときにしなを作るのでじつに困る。菊・勘・七の花形3人組はそつはないものの、とりたてて驚きもない。お尻がそろそろ痛くなってとか、サイレンがうるさいとか、ともかく芝居に入り込むほどのこともない。

そして最後の「寺子屋」。中村屋さんのファンには申し訳ないが「寺子屋」は播磨屋に尽きる。そう言い切ってしまっては歌舞伎ファンとして責任放棄したようなものなのだが仕方がない。比べるべくもない。勘三郎が悪いということではない。吉右衛門はじつは実生活では松王丸なのではないかと思うほどのものを見てしまっているので仕方がない。そもそも勘三郎菊之助七之助扇雀女形も得意とするわけだから、配役に無理があるのではないかと疑ってしまう。

「賀の祝」「寺子屋」はともかく「車引」を見れたことはじつに幸いである。これで勘九郎になる直前の勘太郎の大活躍を数十年後でも語ることができるというものだ。