「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部・昼の部


12月8日夜の部・9日昼の部、京都南座顔見世を観てきた。1等席はなんと25,000円。筋書きは2000円もする。ちなみに筋書きとは演劇パンフレットのことで、東京では筋書き、関西では番付と呼ぶ。南座公演で楽しみのひとつは、この筋書きに掲載されている広告だ。老舗が軒を連ねていて風情がある。瓢亭、村山造酢、一保堂などの全国的な有名どころから、古都唯一のつげ櫛「十三や」、創業1615年の町家手拭「永楽屋」なんてのがあって、ついついチェックしてしまう。

20年ぶりに新調された緞帳がお披露目されていて、その名は「赤地草花連紋(あかじそうかれんもん)」とのこと。聖護院八ツ橋総本店からの寄贈。東側廊下に目録をいれた巨大な桐箱が飾られていた。聖護院八ツ橋総本店の屋号は「玄鶴堂」、元禄2年創業。その元禄時代に歌舞伎は大きく発展をした。江戸では初代市川團十郎の荒事、上方では初代坂田藤十郎が和事を完成させた。近松門左衛門はこの時代の代表的な狂言作家だ。300年以上前のことをつい最近のことのように語ることができ、しかもその伝統を守る人々が連綿と続いている日本という国に生まれて良かったとつくづく思う。


南座夜の部は「山門」から。我當石川五右衛門秀太郎の真柴久吉。今日は関西で歌舞伎を見ているということを再確認させてくれる一幕。小料理屋で最初に出てきた一品が薄味だったときに、そうか自分は関西にいるんだねという感じだ。

「実盛物語」はどんどんサクサク進むという印象。あれよあれよというまに左團次が腹に刃を突き刺して、さくっと孫に功立てしておわり。本日はこれにて菊五郎左團次お二人のお役御免の場でもある。

「仙石屋敷」は台詞劇だ。メインの第2幕は一同座りっぱなしで、延々と仁左衛門の内蔵助が語る。新歌舞伎だから唄も三味線もなく、江戸の粋とはかけ離れた無粋の極み。そもそも個人的には新歌舞伎は好きではないのだ。このあとメールをみるために劇場外に出たのだが、スペイン語を話す外国人の3人組も同時に出てきた。もし一幕見だったらじつにつまらなかったであろう。

三津五郎時蔵の「喜撰」は期待どおりなのだが、もはや全体の流れでこれまたサクサク感がある。辛口に批評をしているつもりはまったくない。これが顔見世なのだとつくづく思う。人気役者の元気な顔をみて、ああ来年も楽しめるなあと思うことこそが顔見世の楽しみなのであろう。

残念ながら「らくだ」の前に南座をあとにし、京の顔見世夜の第2部は文字通りの「祇園一力の場」と相成り申し候。この日のお部屋は2階表。帰りにあぶなく階段で足を滑らせそうになった。一番上から落ちそうになったかって?「いいえ七段目」

さて、次の日は朝から昼の部だ。「曽我の対面」は夜の部の「山門」同様に関西ムードだ。2列目の右通路に座っていたため、目の前が工藤家臣の亀鶴だった。芝居中身体はフラフラ、目はキョロキョロで気になって仕方がなかった。片割れの萬太郎はしっかりと不動で対称的だった。

三津五郎翫雀の「お江戸みやげ」は4月に引き続き面白かった。役者もさることながら、見物客のほとんどが関西人だからだろうが、場内から笑いが随所に巻き起こり、その雰囲気も楽しかった。東京で見る歌舞伎は江戸時代へのタイムスリップと江戸の粋という感じなのだが、関西で見る歌舞伎は同時代性を感じる。舞台上の喜怒哀楽が場内とシンクロしている感じなのだ。これはこれでじつに楽しい。三津五郎もさることながら、翫雀のおゆうは当たり役だと思う。

ちょっと長めのお昼を食べたので「隅田川」には間に合わなかった。「お富与三郎」は仁左衛門時蔵。悪かろうはずがない。蝙蝠安は菊五郎なのだが、やはり菊五郎が出てくると面白すぎて、主役2人を食ってしまいそうな勢いだ。ここは菊之助で見たかったと思いつつ、やはり今月は顔見世だから、これはこれでいいのであろう。そもそも菊之助はこの原稿を書いている数時間後に平成中村座に駆けつけて観るつもりだ。