『河竹黙阿弥』

河竹黙阿弥―元のもくあみとならん (ミネルヴァ日本評伝選)

河竹黙阿弥―元のもくあみとならん (ミネルヴァ日本評伝選)

ミネルヴァ日本評伝選」の7月刊の1冊である。このシリーズは約400人の日本人と日本にゆかりの深い外国人を選んで出版される壮大な人物評伝集だ。70人強が既刊である。予定されている人物は卑弥呼にはじまり、今西錦司までだ。これまでに読んだのは久米邦武や太田南畝の二人だけだった。二代目団十郎や馬琴なども出版されているので買っておこうと思う。曽我十郎・五郎、金地院崇伝、高田屋嘉兵衛などは今から楽しみである。

じつは本書については7月19日の毎日新聞上で歌舞伎評論家の渡辺保氏が書評を書いている。本書を読み終え、本ブログを書く直前に検索して発見したのだが、自分が専門家とほとんど同じポイントを見ていることに驚いたと同時に、書きにくくなってしまった。

ともかく、本書のポイント1つは狂言作家と劇作家に違いである。狂言作家は芝居小屋専属で、出演する役者に合わせて脚本を書く作家であるという。なによりも芝居を興行する目的とは「利益を上げること」以外の何ものでもないと自覚している作家のことだ。一方、劇作家は脚本が芝居のたった一つのおおもとであり、役者は脚本を解釈する人でしかない。あえて本書に付け加えると、興行の成功はプロデューサーの責任であり、脚本家は創作に専念すればよいということになる。

つまり当時の歌舞伎では客は役者を見に行くのであり、脚本は役者を引き立てるために書かれた脇役だ。けれどもこれは今でもほとんど変わらない。ほとんどの人は玉三郎勘三郎、海老さまや菊ちゃんを見物しにいくのだ。歌舞伎を難しく見ているのは専門家と歌舞伎を見たことがない人たちだけだと思う。

本書の第2のポイントは素人と玄人の違いだ。階級社会の江戸時代において「素人とは良民を、玄人とは賤民を意味した」というのだ。目から鱗だった。江戸時代においては遊女と歌舞伎役者はそれゆえに玄人だったのだ。当時はもちろん文字通りの千両役者もいたわけだから、玄人=賤民だからといって日陰の身ではない。ともかく、当時の日本においては身体で人を楽しませるという仕事は賤しいものだったということであろう。

あえて「身体」で人を楽しませるとしたのは、印刷物の戯作者などはそのかぎりにないからだ。大田南畝滝沢馬琴十返舎一九など武家出身者も多い。

ともあれ、本書は「黙阿弥物の表現の正統は絶え、今ではわずかに前進座歌舞伎だけが、あるべき黙阿弥物の表現をまさぐりつつ、明日への希望をつないでいる。」という文章で終わるのだ。これがよく判らなかった。前進座劇場では年に1度程度の割合で黙阿弥物をかけるので、次回は見にいってみようと思う。