『なかのとおるの 生命科学者の伝記を読む』で散財する

なかのとおるの生命科学者の伝記を読む

なかのとおるの生命科学者の伝記を読む

いやはや正月早々大変な目にあってしまった。お屠蘇気分でほいほいやっつけてみようと本書を読み始めたのだが、意外にも内容がこってりと濃く、たっぷり時間をかけて楽しむことになった。つまり、しばらくかかりっきりになったのである。それどころかあまりの面白さに、本書が取り上げている書籍を14冊も買ってしまったのだ。大散財である。そのほとんどが絶版なので、とりあえず買うことができるうちに古本を買ったのだ。本書の読者が増えるにつれ、市中相場は上がるであろうから必死である。そして、そのうちの何冊かをリファランス的に読みはじめてしまったのだ。HONZは新刊しか紹介しないので、もはや営業妨害である。

本書は17人の生命科学者の伝記本を紹介するというシンプルな構成だ。『細胞工学』という専門誌に20回にわたって掲載されていた記事をまとめたものだがから、すべての章は読み切りだ。取り上げられている生命科学者は野口英世ロザリンド・フランクリン、リタ・レーヴィ=モンタルチーニ、北里柴三郎など、活躍年代が18世紀後半から現在までの科学者たちだ。

科学者の伝記本のみを紹介する本など、なにが面白いと思われるかもしれないが、本書の面白さはその伝記本の紹介方法に新風を吹き込んだことにあろう。緻密だがスピード感のある文章で、一気に核心となる物語を紹介する。さらに専門家としての著者の見立てや、科学ノンフィクション好きの観点からの解説などで修飾する。科学者の人生からなにかを学ぶというよりも、物語を読み、その背景を知ることで、いい年をした大人をわくわくさせるということに成功しているのだ。

たしかに著者は「あとがき」で「いまさら言うのも何なのではあるが、他人の人生から記号化されたメッセージを読み取ろうというのは、伝記の楽しみからとして正しくない。(略)心静かに、ほぉ、こんなことがこういったことにつながっていくのか、運命っちゅうのはおもろいもんやなぁ」という。ちなみに、このあとにつづく5行の締めくくりは、読書の価値に関して書かれた文章として最高の一篇のひとつだと思う。

ちょっと本文を覗いてみよう。第3話はラルフ・W・モス著『朝からキャビアを』アルバート・セント=ジェルジの伝記だ。ハンガリー生まれの科学者であり、ビタミンCの発見者、TCAサイクルの研究、アクチン・ミオシンの重合という高校の生物の教科書にも載っている大業績を上げている。ビタミンCの発見経緯だけでもむちゃくちゃ面白いのだが、その後のセント=ジェルジの人生も面白い。彼はハンガリーの密使として連合国側に接触し、その高い諜報能力ゆえにヒトラーからは連行命令が出たほどだったという。終戦ソ連を支持したため、ソ連からは最高レベルの賓客として朝からキャビアがでるほどもてなされた。が、その後アメリカに移住した。この時期のハンガリー人は超天才が揃っていたので異星人ではないかと言われていた。本著の著者はそこで『異星人伝説―20世紀を創ったハンガリー人』というベストセラーを参考図書としてとりあげながら、最後にはBBCアーカイブで見ることができるセント=ジェルジの動画サイトまで紹介するのだ。まさに生命科学者の満漢全席。

つづく第4話はアッカ―クネヒト著『ウィルヒョウの生涯 19世紀の巨人=医師・政治家・人類学者』だ。24歳には血栓白血病の研究を開始し、雑誌を創刊し、細胞病理学の概念を作り、下院議員になり、ビスマルクと対決し、2000編の論文・著書を執筆し、2万点以上のプレパラートと4千点の頭蓋骨を整理・分類し、法王と呼ばれたが、貴族の称号は拒否し、科学的な討論をするときにはとどまることにない喧嘩好きだったという。伝記本を紹介した本をさらに紹介するというにはじつに難しい。ただでさえ要約されているものを、屋上屋を重ねて要約することになりかねないから、本文の紹介はこの辺で止めておこう。

第1話から第4話までは第1章としてまとめられていて、章の見出しは「波乱万丈に生きる」である。この章を読むだけでも、稀有壮大な気持ちになり、日常の細々したことをうちゃって、堂々と生きて行こうと思ってしまう。つづく第2章は「多才に生きる」、第3章は「ストイックに生きる」、第4章は「あるがままに生きる」だ。ボクの好きな言葉が並んでいる。

ところで、本書を真面目一辺倒の本だと思ってはいけない。こてこての関西人ギャグも散りばめられていて、ときどき爆笑することになる。それもそのはず著者は大阪生まれ大阪育ち大阪大学の幹細胞病理学教授だ。本書をべた褒めしているが、お会いしたことはなく、本書ももちろんAmazonから買った。しかし14冊の追加出費は痛く、いつかは苦情をいいに行こうと思っている。その時には落とし前としてHONZの著者インタビューに出ていただこうと思っている。

ちなみに本書が取り上げている伝記とは別に、参考図書として紹介されているリストも素晴らしい。『異星人伝説』『囚人のジレンマ』『フルハウス』『ロゼッタストーン解読』『死体はみんな生きている』『完全なる証明』『暗号解読』『血液の物語』『科学の終焉』『歴史は「べき乗」で動く』『セレンディピティと近代医学』『免疫の意味論』などだ。

本書は2012年最初の超おススメ本である。