戯号と落款印 「あんた、ハンカクサイんでないかい」


「狐狸庵山人」とは作家遠藤周作の雅号である。玉川学園にある自宅を「狐狸庵」と称したのだという。本人は純粋な日本人なのだが、コリアンをもじっていることには間違いなかろう。遠藤周作には「雲谷斎」という雅号も使っていた。まだ、ウォシュレットがなかった時代である。こちらの雅号はカナに開かないでおこう。楽しいことだ。

GHQをして従順ならざる唯一日本人だった白洲次郎は町田の邸宅を「武相荘」と名付けた。町田が武蔵の国と相模の国の境にあるからなのだが、無愛想のもじりでもある。粋なことである。

夏目漱石の「漱石」はもともとは正岡子規が使っていた雅号であった。その「子規」も雅号であり、本名は正岡常規だ。幼名は升(のぼる)といった。ここまではご承知のとおり。ところで、子規が使った雅号に「野球」というのがある。「のぼる」のもじりである。野ボールだ。

幕末の4賢侯、土佐藩主の山内容堂は自らを「鯨海酔侯」と称した。維新後も鯨飲しつづけ、いさめた家令に「昔から大名が倒産したためしがない。俺が先鞭をつけてやろう」とうそぶいて、46歳で脳溢血で死んでしまった。お慕い申し上げたい。


庵や斎とは自分の建物や部屋を意味しているのだが、狐狸庵や雲谷斎は雅号ではなく戯号と呼ぶべきものだろう。戯号はペンネームやハンドルネームとも違うと思う。本人の出身地や居住地、趣味や性格などをもじったものでなければ面白くない。第一生命が主催しているサラリーマン川柳の作者に「倦怠夫婦」「先端社員」「長老A」などがある。これは作品に被せたペンネームまたは作品の一部であり、雅号や戯号ではない。

ところで、お習字では最後に学年と名前を書かされる。これが落款である。この落款に雅号などを刻した落款印を押すと、お習字から作品へと変貌する。落款印を大別すると姓名印、雅号印、引首印がある。


ここで自分の落款印を紹介しよう。長方形の引首印には「半覚斎」と刻してあり「ハンカクサイ」と読む。半分しか覚醒していないという意味も含ませてあるのだが、本来は北海道弁である。「ハンカクサイ」は大阪弁の「アホちゃうか」に近いような気がする。

用法としては「あんた、そんなとこちょして、ハンカクサイんでないかい。母さん泣かさったよ」。翻訳すると「そんなところをいじって馬鹿じゃないの、母さん泣けてくるよ」である。ここではどこをいじっていたかというのは問題ではない。

赤文字は雅号印である。雅号の本体は「孔球」で、ヒマ人の意味である「陳人」で修飾してある。孔球とはゴルフのことである。子規の「野球」を意識しているのだが、すこしはゴルフが上手くなりたいとの願いも掛けてある。

本来「孔」とは突き抜けた穴だから、ゴルフは「穴球」と呼ぶべきなのだが、これではたいそう下品だと思ったのか、古人は「孔球」と翻訳した。ところで野球、蹴球、庭球、卓球、排球、水球、蹴球などは知られているけれど、他に杖球、鎧球、撞球、闘球、氷球などがある。