『裁判官が見た光市母子殺害事件』

さすがに読了までの時間がかかった。元裁判官である著者が「法律のみを基準とし公正を旨として」本書をまとめたと記しているように、大量の判決文が生のまま引用されている。これがじつに読みにくいのだ。法律文は正確性を期すためなのであろうか、文章中の漢字比率が異常に高い。さらに文そのものが長いので理解しにくい。本書で引用されている「永山基準」の最初の文は600字あまり、22個の読点がつけられている。こんな文章を書いたら、学校でも会社でも役所ですらも、即座に書き直しを命じられるであろう。

この司法の非常識がもっとも一般人にとって分かりやすく示されたのが本事件だった。とりわけ安田好弘を主任弁護人とする弁護団の不誠実性、法廷戦術の幼児性については本書を読むまでもなく社会から激怒と侮蔑をかった。しかし、本書はこの愚かな弁護団の行為だけでなく、裁判所の量刑相場主義、判決文で語られる一般論という裁判所の越権行為などについても批判している。

事件そのものに対する著者の立場は明らかに被害者寄りである。それゆえに安心して読める本だ。本事件については弁護団寄りは言うに及ばず、完全に中立の立場で書かれた本であっても、もともと被害者側に心情が大きく傾いているため、逆にバイアスがかかってしまい読みにくい。ある程度被害者寄りで中立感を持つことができる稀有な事件だ。

ともあれ、本書の帯にあるように「永山基準」「相場主義」「前例尊重」で死刑を忌避していた「司法の壁」が崩壊した。裁判員制度と被害者の意見陳述が可能になることによってさらに厳罰化は方向付けられたと思う。塀の中の凶悪犯たちもこの流れは当然知っているはずだ。次に起こることは犯罪の隠蔽が進むことであろう。犯罪者たちは自らの犯罪を確実に隠す方法を学ぶようになるであろう。

しかし、それ以上に必ず起こることは検察側のいわば情報公開が増えることだ。最近は年に20人以上の死刑が確定しているという。メディアの節制がなければ、事件発生数に関係なく、犯罪報道の量は増し、それゆえに社会不安も増大するであろう。