成毛眞の「これって暴論?」第1回

クーリエ・ジャポンの連載を成毛眞ブログに転載開始します。毎月世界の記事が満載のクーリエ・ジャポン町山智浩のUSニュースの番犬、佐藤優の国際ニュース解説室、など世界に開かれた記事が主力なのに、伝統芸能話なんぞを書く勇気!ははは。
http://courrier.jp/

「30年後も帰って来られる場所」

仕事に疲れたとき、ひとは家に帰って身体を休める。しかし、仕事にも家にも疲れてしまったとき、ひとはどこに帰るのだろう。野球ファンであればスタジアム、ミッキー好きであればディズニーランドだろうか。どちらも仕事も家庭もなかった頃の自分に戻れる場所だ。希望と夢に満ちていた少年少女時代に束の間まどろむことができるのは子供のころの幸せな体験があるからだ。

それではひとが中高年になっても、スタジアムとディズニーランドだけが心の故郷で良いのだろうか。勇気にみちて輝いていた30代の自分が遊んでいた場所に帰ってみたいと思うこともあるはずなのだ。しかし、大都市の繁華街はまたたく間に姿を変えるし、飲食店は有為転変を繰り返す。上司や会社のグチでうさを晴らしていたバーやカフェなどは明日にでも消えてしまうかもしれない。

大切な自分史をそんな危ういインフラに頼るのは考えものだ。還暦や古稀を迎えても30代の自分に戻ることができる場所をいまから作っておくべきだ。悠々自適とうそぶきながら、そのじつ無為に毎日を過ごしているようにみえる団塊世代の先輩諸氏をみているとつくづくそう思うのだ。

いまから数十年後でも不変の場所とは、過去も数十年以上不変であった場所にほかならない。できれば百年以上も変わらなかった場所であればさらに安心だ。 観光地として京都の寺社仏閣やヨーロッパの古い町並みが老若男女に人気なのも納得できる。

しかし、観光地では仕事や家庭に疲れたときに帰る場所とは言いがたい。そこは本来訪れる場所だからだ。帰る場所としてのプライベートな空間と時間、歩きまわる観光ではなく受動的に楽しめるイベントなどもいまから確保しておきたいのだ。そのプライベートな空間と時間を確保するための第一候補はお座敷遊びである。

東京であれば新橋や浅草、京都であれば祇園町や宮川町、金沢であればひがし茶屋街など、日本にはまだまだ花街が残っている。花街の歴史は折り紙つきだ。祇園町の一力亭などは忠臣蔵大石内蔵助が討ち入り前に豪遊したという記録が残っているほどで、すでに三百年以上営業していることになる。数十年後に訪れても「お帰りやす」と迎えてくれるに違いない。

いっぽうで、受動的に楽しめるイベントの筆頭は歌舞伎やオペラである。なかには数百年前の演目もあり、これまた数十年後に見ても大筋は変わっていないはずだから、いつでも若いころ通った劇場に帰ってきたという安堵感を得ることができるはず。

この両者に共通するのは敷居の高さ、小難しさ、料金の高さなどであろうか。これからこのコラムではしばらくのあいだ、日本の伝統大衆文化の楽しみかたや簡単な潜り込みかたなどを紹介してみようと思う。その中から世界に誇れるアニメや「かわいい」という現代日本大衆文化へとつながってきた道のりも見えてくるはずだ。その道のりは今後数十年のビジネスにも直結していることは間違いないのだ。


今月のおススメ本『京都の流儀』
徳力龍之介著 木楽舎 1300円
敷居は高いが、一度足を踏み入れると安らぎに満ちている「花街」という文化空間を、粋人が案内する。数百年の伝統の一端が垣間見られる入門書。