目指すは「薀蓄オヤジ」

趣味としてのスキューバダイビングは十年ほど前からだ。織田裕二原田知世主演の「彼女が水着にきがえたら」という映画を見ただけで、お気楽にも始めたのだ。映画は若いトレジャーハンターと女性ダイバーのラブロマンス。いわゆるバブル期のホイチョイ物である。

北海道生まれの僕はそれまで、ダイビングどころか海水浴すら数えるくらいしか行ったことがなかった。ましてスキューバなど、ウニ取り漁師の特技ぐらいにしか認識していなかった。暗い北の海、おどろおどろしい装飾の魚、家の高さほどもあるコンブの森、苦しい呼吸のなか、家族のためにがんばるお父さん。「一人前になるまで十年はかかるべさ」。

ところが、映画の中ではどう考えても初心者の二人が暖かそうな真っ青な海の中でマウスピースをはずし、気持ちよさそうにキスまでしているではないか。こりゃ簡単なスポーツだわと、家内と二人でとりあえずダイビングショップにいってみた。もちろん、キスをするためではない。

ダイビングをするには資格が必要だ。この証明書を取るために学科と実地訓練を四日間うけることになる。まず初めは楽チンなプール実習。溺れそうになったらプールの栓を抜けば良いなどと言われながら、それなりにこなした。

次のステップは海中実習。これはきつかった。海水は目にしみるし、波もかぶる。五メートルの高さの防波堤からのジャンプや海底で水中眼鏡をはずす訓練もある。実習は大島だった。固定観念で伊豆には干物になる前の鰺や鰯くらいしかいないのではないかと思っていたのだが、実際は極彩色の熱帯魚がうじゃうじゃいる。これには驚いた。

研修のメンバーには六十代の女性がいた。あまり泳げないのだがご主人に無理やりに勧められたらしい。インストラクターは呑気なもので、ダイビングとは沈むためのものであるから泳げなくても大丈夫だという。彼女も四苦八苦しながらライセンスをとった。

ところでダイビングといえば潜水病を怖がる向きもいるかもしれない。じつは潜水病にはいくつかの種類がある。深度四十メートル以下まで潜水したときには急性酸素中毒を起こす。痙攣や呼吸困難で死ぬ。深度十メートルでも呼吸を止めて急激に浮上したら肺が破裂して死ぬ。長時間潜っていて浮上すると関節が激痛に襲われて死ぬ思いをする。脅かすわけではないのだが、こういったことを防ぐために訓練があるわけだ。案外、中高年の方が落ち着いているため、向いているスポーツなのかもしれない。実際、ダイビングの愛好者には中高年が多い。

ヒマラヤでトレッキングをしてみても唖然とするのは日本人の多さだ。細い山道ですれ違う旅行者の半数以上が日本人中高年である。カシュガルなどの中国奥地でも外国からの旅行者は日本人中高年がほとんどだ。

かっこから入りたがる僕は一眼レフをぶらさげ、プロカメラマンのようにポケットのいっぱい付いたベストを着ることにしている。その横を日本人中高年達はにこやかに日本語で挨拶をしながら、コンビニにでも行くような軽装で、使い捨てカメラをぶら下げている。不思議だった。

海でも同様で、中高年達はダイビング専用グローブではなく軍手、足ひれの色も白ではなく黒、水着もトランクスではなく三角パンツなのだ。ダイビングを始めたころは、なんてかっこ悪いのだろうと思っていた。

ところが十年たってみると、彼らこそが本格派であることが理解できるようになる。僻地を旅行するうえで重要なのは荷物が軽いことであり、ダイビングをする上で重要なのは、命を預けることのできるプロ仕様の機材なのだ。

もしかして十年前の中高年が正しかったのではなく、十年たって自分が単に廻りを気にしない中高年になったということなのかもしれない。だとしたら、ダイビングやトレッキングに勤しむ先輩中高年達とちがい、思いっきりうるさい薀蓄オヤジになってやろうと思っている。

フォーサイト」2002年1月号「遊んで暮らそう」第3回