『図書』12月号 第742号 「私と本の時間」欄掲載

『図書』は岩波書店が半世紀にわたって発行し続けているPR誌だ。現在は高橋睦郎大江健三郎丸谷才一片岡義男佐伯泰英などが連載中だ。本体ページ数は64ページで年間購読料は1000円。送料込だから1冊83円で自宅に届く。

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十年ほど前まで、マイクロソフトというソフトウェア会社の社長をつとめていた。創業者であるビル・ゲイツが世界一の資産家と認定されたため、会社の知名度は高かった。そのためか、ビジネス雑誌などからよく愛読書や尊敬する人物を聞かれたものである。そのたびに愛読書などはないと答えていた。

日本では年間に八万点もの図書が出版されている。国会図書館には図書だけで九百三十万冊も所蔵されているのだ。その中から一冊を選び出すのは至難の業である。そもそも愛読書とは特に好んで読む本ということだろう。文学者や研究者でもない普通のビジネスマンが、これほどの図書に囲まれながら、愛読書として一冊だけを繰り返し読むという、時間の無駄ができるわけがないはずだ。

にもかかわらず、まわりを見渡してみると、立派な大企業の社長さんたちが『坂の上の雲』を愛読書とし、坂本竜馬を尊敬すると答えることが多いのだ。不思議なことである。忙しいと自称するビジネスマンたちが、あれほど長い作品を繰り返し読んでいるとは思えない。一度読んでみて、面白かった小説を愛読書として紹介し、その中の主人公を尊敬しているとしか考えられない。

じつのところ司馬遼太郎は近代合理主義の権化ともいえるであろうから、ビジネスマンにとって自らを色分けするには都合がよいのだろう。司馬遼太郎を読んでいることで、自分は狂信的、神秘的、非論理的なものから距離を置いた人物であり、合理的に会社経営しているのだと主張することができる。じっさいにそうであっても、愛読書がカフカの『変身』などと答える勇気をもつ経営者などいそうもないのだ。

ともあれ、自分には愛読書というべきものはない。最近買った本で面白そうだというものを紹介することができる程度だ。それを聞きつけたのか二〇〇二年に月刊文藝春秋から「今月買った本」という欄を担当してみないかと打診があった。四人での交代執筆になるというので安心して引き受けた。なにしろ「今月読んだ本」ではない。

「今月買った本」なのだから、じつに気楽である。多少、読み方に不都合があっても、あれは書評ではなく、買った本の紹介ですからと言い訳ができるというものだ。一か月分として十冊を羅列し、それにまつわるエッセイを書けばよいのだった。ちなみに現在は池上彰角田光代野口悠紀雄平松洋子の四氏が担当中である。

この連載での担当が二〇〇九年で終了することが決定し、いささか手持ちぶさたになりそうだったので、ブログなるものを立ち上げた。インターネットで最近買った本を紹介してみようと思ったのだ。誕生日でもある二〇〇八年九月四日に紹介したのは『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』や『殿様の通信簿』など五点だった。この日の閲覧数は七六件である。つくづく、六十万部以上も売れている文藝春秋に比べ、なんと個人の力の弱いものよ、と嘆いたものである。

しかし、最近になって様子が変わってきたのである。この九月二十三日のたった一日の閲覧数は八千件を超えたのだ。総閲覧数は二百万件に達する。インターネット出版物の特徴として、過去の記事もすべて見ることができるため、新しい記事を書きくわえ続ければ、認知度がさらに増し、累積的に閲覧数は伸びていくと考えられる。インターネットは一見冷たいように見えて、継続こそが力なりを地で行く技術なのだ。

記事には文章だけでなく、紹介している本の表紙写真や出版社、価格などを手軽に見せるため、インターネット書店であるアマゾンが販売する商品へのリンクを張っている。さらにこのリンクを利用して、読者はアマゾンに手軽に注文を出すことができる。しかも、その注文ごとにアマゾンは五%前後の紹介料をブログ運営者に支払ってくるのだ。つまり、インターネットの書評家は出版社からの原稿料ではなく、読者の書籍購入に応じて直接収入を得ることができようになったのである。

これまでブログで紹介して、もっとも売れた本は『地球最後の日の種子』だった。この八月発刊の翻訳科学読み物である。ブログ書評の読者がアマゾンからだけで一九〇冊も買ったのだ。アマゾンの決済ではクレジットカードが基本だから、多くの学生たちは書店で買うであろうし、社会人も書評を会社で読んでから帰りに近くの書店で買うこともあろう。そのため、書評掲載日には五百冊以上が一気に売れたと考えられる。ところで、ブログ上で現在も売れつづけており、おそらく第一位になると考えられるのは『大金持ちも驚いた105円という大金』という本だ。なにしろ、もう二週間も品切れなのである。

このいささか怪しげなタイトルの本は「せどり屋」稼業をしている還暦近い男性による著作だ。自己破産を目の前にした東京外国語大学出身の予備校教師が選んだ副職が「せどり」だった。むかしの「せどり」とは、古本屋で値付けをあやまった本を買い、それを他の古本屋に転売して小銭を稼ぐことであった。本の目利きによる利ザヤ稼ぎである。古本屋さんたちに嫌われていたものだ。

しかし、現代の「せどり」は古本屋の百円均一コーナーでブツを仕入れ、それをアマゾンなどのインターネット書店経由で個人に転売することである。おどろくべきことに年に二千万円も稼ぎ出す人がいるのだという。この本の著者もたった二年で見事にローン地獄から抜け出たのだという。アマゾンなどでマーケットプレースと呼ばれているコーナーは、その「せどり屋」さんたちの仕事場である。

このように、コンテンツとしての本が電子化するまえに、出版流通分野でインターネット化が進んでいる。ネット書評家やネットせどり屋が読者の購買行動を変えつつあるのだ。もはや、大企業社長の愛読書などをありがたく新刊で買うということは遥か遠い昔のことになりつつある。ネット書評家のお勧め本をインターネットから時価で買うという時代になりつつあるのだ。

ところで、簡単にネット書評家と書いたが、じつは本のキュレーターというのがふさわしいのだと思う。ネット上で生業として書評をする場合、本を一方的に貶していては売上が上がらない。つまらない本をブログ経由で買う人などいない。したがって紹介料は入らない。そこで、いかにその本が面白いかを伝える以外に方法はない。しかし、価値のない本を褒め続けていても、書評の読者を失ってしまう。バランスをとることが必要だ。

博物館や美術館がそれぞれに特徴や専門があり、自信がある所蔵物だけを展示しているように、ネット書評家も専門分野をもって、良書を推薦するしかないのである。それゆえに本のキュレーターと呼ぶべきなのだと思う。このようにして、「本と私の時間」は変化してきてしまった。

骨董趣味のごとく、大量に本を仕入れて斜め読みし、手元に残す本を取捨選択し、それをお薦めする書評を書くようになったのである。これでは愛読書などできるわけがない。尊敬する人物はと問われると、益田鈍翁などとトンチンカンな答えをしてしまいそうなのだ。

このような動きに賛否はあろう。しかし、はっきりといえるのはこれまで本をあまり読んでいなかった層が、本を手にとりはじめたのだ。ブログでは自己啓発本を否定しながら、難しすぎる古典も読む必要はないと言い切っている。やがてネット読者が手軽に本に親しむようになり、「図書」を参考に本を買うようになれば本望なのだ。