武田 和命 / Gentle November

ジェントル・ノヴェンバー

ジェントル・ノヴェンバー


いささか大層だとは思うけれど、「モノ」との巡り合いは人との巡り合いに勝るとも劣らず一期一会の縁だと思っている。

いつでもどこでも入手出来るとたかをくくっていたら、いつの間にか見かけなくなって慌てて探し回ったりする羽目になる時がある。まだ入手できる筈と思い込んでいるから、入手熱が冷めるまでジタバタしてしまう。風の噂を頼りに自分の足で探し回るしか術がなかった頃に比べれば、随分便利な世の中になったもの。捨てる神あれば捨てるのを待ちわびている拾う神ありで、オークションサイトで網を張っておけばそう遠くなく入手できる日がやってくることだろう。出回る機会が多い、この程度のレベルの探し物であれば。

滅多にお目にかかれない「モノ」、幻の「モノ」ともなるとこうはいかない。探せば見つかるような単純な代物ではないのだから、一縷の望みをつないで出てしかるべき場所に網を張り、ご縁があることをひたすらに願って待つしかない。どこにあるのか、その代物の所在がわかっている場合は、三顧の礼を持って所有者に話を持ちかけることもできるが、その「モノ」のレベルによっては余程の事情でもない限り手放してくれない。入手に至っては、熱意と人徳と費用がものを言う。

不思議なのもので、それ程の「モノ」でさえ、労を厭わずとも入手できてしまうことがある。これこそ縁以外の何者でもない。モノは集まるべきところに集まり、収まるべきところに収まるものなのである。幸いなことに、「モノ」には意志がないから、機さえ逃さなければいつかは入手できると信じている。

「モノ」の価値は、その価値を知る人にとってかけがえのないものであるが、知らない人にとっては理解できないものである。金銭的価値しか認めなかったり、目先の利益しか追えない人は、所詮その「モノ」が持つ本当の価値を知ることはできないし、いつかはその「モノ」によって損をすることになりかねない。金銭的な価値は、相場によって変動する。高騰した相場は、いつか崩壊するが、本質的な価値は何も変わらないのに。

ビートルズのとあるレコードの一枚が、ミントのオリジナル盤でせいぜい10万円位なのに、その日本盤が帯付きミントだと100万円位するという話を聞いた時、もうなんともいえない嫌な気分だった。幸いなことに、JAZZの国内盤でこんな話はない。JAZZがマイナーってことなんだろう。

今回は、武田 和命 / Gentle November を紹介しよう。1979年、埼玉での録音。山下洋輔の個人レーベルFrascoからのイシューされた。メンバーは、武田和命(ts)、山下洋輔(p)、国仲勝男(b)、森山威男(dr)。彼は、1989年、49歳の若さで他界してしまった。こんなCOOLで美しいバラッドはそうは聴けない。大人になりたい草食系男子、肉食系女子にお奨めする。この夏、浜辺で夕陽を眺めながらお目当ての相手と 2人で聴いて。

(JHS-JAZZ 山田)