『量子革命』2013年2冊めのNo1でいいでしょ

- 作者: マンジットクマール,Manjit Kumar,青木薫
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/03/01
- メディア: 単行本
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5手詰めの詰将棋ですら解けないにも関わらず、棋士を描いた本を好み、テレビの対局番組を見たりするには訳がある。野球や格闘技にさほど興味のない分、棋士たちこそが自分にとってのヒーローであり、盤外の言動も含めて興味津々なのだ。その棋士に勝るとも劣らない知的ヒーローがいるとしたら、それは20世紀初頭の物理学者たちであろう。もちろん、過去にはガリレオやニュートンなど突出した科学者がいた。21世紀の現在も多数の尊敬するべき科学者たちがいる。しかし、20世紀初頭の物理学者たちほど、個人が相互に連関し、まさに光速で理論と実験を繰り返し、国境をこえて師弟関係を構築し、論争した時代はない。それは天才たちが量子力学という新しいゲームのルールを作りながら、覇を競っていたからだ。
本書『量子革命』のカバー裏には第5回ソルヴェイ会議の写真が印刷されている。1927年10月ブリュッセルで行われたこの会議には29人の物理学者が招待された。キュリー夫人やアインシュタインはもちろん、ニールス・ボーアやマックス・プランク、ハイゼンベルグなど17名のノーベル賞受賞者が参加した。ローレンツ、コンプトン、パウリ、ウィルソンなど物理量の単位名や現象名、実験装置などに名前を残した人たちも参加している。
この1927年前後というのは量子力学にとって前後期の境目になる年代だった。1900年マックス・プランクよるエネルギー量子仮説、1905年アインシュタインによる光量子仮説、1923年コンプトン効果の発見、1924年ルイ・ド・ブロイの物質波仮説、などによって量子力学の基礎的な理解が深まってきた。その後、1925年ハイデルベルグの行列力学、1926年シュレディンガーの波動力学、ボーア研究所によるコペンハーゲン解釈へと続き、現代物理学へと繋がっていく。しかし、これではいかにも辞書的な量子力学史の記述である。
それぞれの仮説や発見などなんとなく分かったような気にはなるのだが、それは見事に名付けられた仮説や発見の名称によることが大きい。たとえばアインシュタインの光量子仮説とは「これまで波だと考えられてきた光は、じつは粒子でもあるという仮説」であろうことは想像に難くない。事実そのとおりなのだが、アインシュタインは黒体放射のエントロピーの体積依存率がどんな式になるかを調べた結果としてこの仮説を生み出したのだ。しかし、これではなんのことだか判らない。
本書の素晴らしさはこの光量子仮説についてニュートン力学にまで遡って丹念に説明することはもちろん、アインシュタインはなぜこの仮説を思いついたのか、仮説を証明するための実験や次の物理学的発見にどうつながったかなどについて、流れるような文章で紡ぎ上げていることだ。アインシュタインの生まれ育ち、仲間の物理学者たちとの繋がりなどについても、密度濃く丹念に語りつくす。
もちろん、この光量子仮説とアインシュタインについては本書のなかのたった一章でしかない。全15章は前期量子論期とも言うべき時期の第1部、ハイゼンベルグやシュレディンガーによる量子力学の基礎完成期の第2部、確率解釈をめぐっての直接的論争期の第3部、その後の物理学の第4部にわかれて編集されている。その底層となるのはアインシュタインとボーアの論争である。
この論争を踏まえて、本書は見事な言葉で締めくくられている。引用は憚られるが、物理学の読み物であるにもかかわらず、おもわず目頭が熱くなったほどだ。訳者の青木薫さんもまた「訳者あとがき」で『ニューヨーカー』誌から物理学者デーヴィッド・ドイチェの言葉を引用してこれを補完している。アインシュタインは果たして論争の敗者であったのだろうか。それとも21世紀以降の物理学をさらに前進させるための松明として復活するのであろうか。
本書は絶版になる前に買っておくべき本の筆頭であろう。じっさいに読むのは数十年後でも良いかもしれない。20世紀初頭の物理学史が書き換わるとも思えないから、中身が古くなることはないだろう。物理学がさらに発展することは間違いなく、コペンハーゲン解釈の新解釈などが生まれるかもしれない。その時のテキストとして本書は最適なのかもしれない。ともあれ、世紀を超えて真実を探求する物理学と物理学者たちの面白さを、これほど手際よく書き上げた本をほかに知らない。ラザフォードとボーアの人間関係、ハイゼンベルグと仲間たち、量子力学に関する記述を飛ばして人間ドラマとして読んだとしても素晴らしい読み物である。本書を2013年No1の2冊目としておすすめする所以だ。