『死ぬまで編集者気分』

著者からの献本である。小林祥一郎氏。1928年生まれ。海軍兵学校をへて名古屋大学卒業。1952年新日本文学会事務局に入る。1954年花田清輝編集長解任に抗議して辞職。同年平凡社入社。『世界大百科事典』編集部に配属。1959年『日本残酷物語』編集部。1964年雑誌『太陽』編集長。1966年『新文学』編集長。1980年平凡社取締役編集局長。1985年平凡社を退社。1995年マイクロソフト電子百科事典『エンカルタ』編集長。2001年『エンカルタ』編集顧問を辞職。2012年本書刊行。出版界のレジェンドである。

成毛眞ブログのなかで人気エントリーだった「内モンゴル旅行記」〈われながら非常に面白いので是非ご一読を!〉にも登場する。恐れ多いことだが数年間マイクロソフトで同僚だったのである。本書でも194頁にボクは悪役としてでてくる。小林氏は北方4島を領土・国境紛争地帯としてどの国にも属さないと記述するべきであると主張したのだが、マイクロソフトのマネジメントとしては日本の領土として記述するよう強要したのだ。経営が編集権を犯したといってもよい。誤解ないように付け加えると小林氏は中印国境紛争も印パ国境紛争もすべからく紛争地帯とすることで、百科事典として領土・国境紛争の存在を明らかにするべきだという立ち位置であり、けっして北方4島が日本の領土ではないという立場ではない。

じつはこの事件の数年前、ボクのイギリス人同僚がサウジアラビアで逮捕投獄された。Windows3.1のアラビア語版の開発にあたってイスラエルのソフト開発会社を下請けとして使ったという疑いであった。マイクロソフト本社は平謝りに謝って、WSJにお詫びの全面広告を出したほどである。やっとの思いで監獄からでてきたこの男の次の赴任地はインドだった。彼はインドでまた逮捕投獄されたのである。このとき、『エンカルタ』はインド・パキスタン・中国の国境紛争地帯であるカシミールパキスタンの領土として記述していたのだ。それ以来、マイクロソフトはこの問題に非常に神経質になったのだった。ともあれ、例のイギリス人同僚は再度助け出され、アメリカに赴任した。驚くことに彼はマイクロソフトの社員であったにも関わらず、あのアーノルド・シュワルツネッガーと共同でピザのチェーン店事業を始めたのだった。世界は何でもありなんだということをこの男から学んだ。

話がずれてしまった。本書は小林氏の出版私史である。冒頭から花田清輝吉本隆明志賀直哉などの名前がポンポン飛び出す。柳田國男大江健三郎とも親交があった。梅棹忠夫小松左京加藤秀俊らと毎月討論会を行っていた。安倍公房、大江健三郎石原慎太郎の座談会の司会もする。しかし、本書は老編集者の思い出話にとどまらない。雑誌創刊の裏話、百科事典の営業政策など生々しいことが描かれていてじつに興味深い。本書の後半は『新日本文学』に著者が寄稿した文章を選び出したものだ。

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