「僕が出会った超人、奇人、天才たち」 月刊「フォーサイト」2002年2月号 掲載「遊んで暮らそう 第4回」 

5年前にひょんなことから始めた呑み会「フォーラム50」が20回目を迎える。きっかけは同い年の新聞記者との雑談だった。彼曰く、我々1955年生まれの学年からは10年に1度の天才がでている。千代の富士中野浩一桑田佳祐野田秀樹ビル・ゲイツスティーブ・ジョブス。したがって僕らも天才なのだ、と盛り上がった。根拠はきわめて呪術的である。

スポーツや芸能界、ベンチャーは実力本位の世界だから若いうちに頭角を現す。しかし、日本の経済、政治、学問は旧態依然。そこで、いまは不遇であっても年を取ってから天才を発揮するかもしれない55年生まれを見つけ、ツバをつけておこうと考えたのだ。目的はきわめて功利的。

僕が直接お会いした方だけに声をかけるルールを厳守したため、なかなか同年生まれは見つからない。会の名前をフォーラム50として対象を50年代生まれに拡大。第一回目は30名ほどのお手軽招待者ではじまった。方法はきわめて刹那的だ。

会費8000円。食べ物は近くのすし屋の出張握りだけ。偉いひとの講演どころか、主催者のあいさつも乾杯もお開きの拍手もない。マンションの1室を借りて夜7時ごろから三々五々あつまり、早朝までただただダベるのだ。

回が進むにつれて、天才は少ないが奇人は多いこと、50年代以外にも奇人が多くいることが判明。出席者の幅は20年代から80年代までに拡大した。現在、参加者リストは200名ほど。そのうち毎回30名ほどを無作為にピックアップしてお呼びしている。

奇人の典型はNASAよりも多数のスーパーコンピュータを個人会社で所有していた流体力学の先生。見てくれは太ったマッドサイエンティストそのもので、実際にも事業は破綻した。ある日、「WC」マークの入ったスリッパを履いてあらわれたことがある。誘いの電話を自宅のトイレで受けたからとのこと。この日は雨だった。

五年といっても短いようで長い。当初から参加してくれていた役人はほとんど転職してしまった。国会議員、大学関係者、コンサルタント、投資会社の経営者。そのほとんどが旧通産省なのはご愛嬌。隣の芝生は青く見えるものだ。旧建設省の役人が転職していないのは、隣の芝生が枯れているからかもしれない。

19年間勝ち続け20年目で負けた債券トレーダーは物書きになった。老舗美容院の経営者にして大物ゲームフィッシングの世界記録保持者は、地域を巻き込んだICカード事業を開始した。ベンチャー・キャピタリストは航空会社を設立、逆に外資系IT企業経営者がベンチャー・キャピタリストになったケースもある。

ジャーナリストも、経済誌経営者をはじめ数名の新聞記者が転身した。PR会社経営者やテレビ・キャスターになった人もいる。経済人では主催者本人はいうまでもなく、銀行マンは外資コンサルタントになり、洋酒会社社員は日本最大の異業種交流会を設立、ドイツ人エコノミストは投資会社の経営を始めた。5年間で4回転職したひとが最高位。もう誰が誰やら判らない。毎回、新しい名刺の交換から始まるのが当たり前となった。

超人ともいえる人々もいる。元プロのヘリコプター操縦士なのだが、現在は巨大観光ホテルの社長で、休日には資格をもつ神主職を過疎地で務め、時には個人所有の漁船でマグロ釣りを趣味とする人。

「障害者を納税者に」というきわめて刺激的なキャッチフレーズで、ITを利用した障害者の在宅勤務支援をしている団体の代表はこてこての関西かーちゃん。重度の心身障害者の母親で阪神大震災の被災者、中卒バツイチ中年太りで「五重苦」とは本人の弁。実際はこの人が一番明るく賢い超人なのだ。

超人、奇人、天才たち、彼らは仕事は人生の一部でしかないと思っているフシがある。転職もするが趣味も多彩なのだ。しかし「今」の仕事に対する取り組み方は尋常ではない。つい極めてしまう、とでも言うべきか。常識を無視し、非難を省みず、将来の成功保証もないにもかかわらず24時間働ける人々が、結構いるものなのだ。

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この原稿を書いてからさらに9年経過した。この会はさらに10年続いたのだが、自然休会となった。ボクが飽きたからである。参加者の現在について、すこし補足しておこう。

スパコンの先生は惜しくもお亡くなりになった。通産省の役人たちはモノを言うファンドマネージメントから刑事被告人に転身した人、文科省副大臣として放射能を測っている人など、その後の転身もさまざまだ。

ジャーナリストは会社は辞めたがジャーナリストであるひとが多い。障がい者を納税者にスローガンを掲げた竹中ナミはもちろんいまも頑張っている。

宮城県知事の浅野史郎さんと元刑事被告人の村木厚子さんが、つい先日2人でテレビ番組でじっくりと語り合っていたのが嬉しかった。

三重県知事の北川正恭さんとはいまもゴルフ会を続けている。