『錯覚の科学』 解説

錯覚の科学

錯覚の科学

文藝春秋編集部の了解を得て、本書の付録である「解説」を全文掲載します。解説というよりは要約のようになってしまうのは、ボクの書評の味です。しかし、本体はこの要約をはるかに超えていますからご安心を。

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心理学や脳科学という学問は、物理学や数学などに比べると、どこか胡散臭く感じてしまう。理論が数学で表現できないということだけでなく、バラエティ番組で取り扱われるようなお手軽さと、一部の専門家のたくましい商魂に呆れるからだ。何十年も前から、親しみやすい風貌をした何人もの専門家がテレビに登場しては「頭の体操」、「脳トレ」、「アハ体験」などと称した自著やゲームを売りまくってきた。

そんなに効果のあるものであれば公教育でも取り上げられる可能性があるはずだし、むしろ効率をもって旨とする学習塾や社員教育などでとっとと使われているはずだ。しかし、脳トレやアハ体験のおかげで事業に成功したり、勉学の成果をあげたという人に会ったことはない。本書はそのような疑問に見事にこたえてくれた。

MRI装置などを利用して、脳トレをすると脳内の血流量が増えたというような研究はけっしてインチキではないのだろう。しかし、血流量が増えたから認知能力が向上したというのはかならずしも証明されないようなのだ。たとえば、一九九八年に米国国立衛生研究所がバックアップして行われた、大規模な臨床実験のエピソードだけでも一読にあたいする。

この実験の結果明らかになったのは、脳トレ・ソフトに装備されている、視覚探索力を鍛えるトレーニングや、言葉を記憶するトレーニングなどを行っても、鍛えられるのはそのソフト特有の問題を解く力だけだというのだ。あらたに身に付けた能力をほかの問題に応用できるわけではない。数独クロスワードパズルでも同様であり、クロスワードパズルをしている人も、していない人も同じ割合で脳は衰えていくのだという。

著者たちは脳内の活動を映し出したカラーのスキャン映像を「脳ポルノ写真」と呼ぶ。神経科学者たちは、これらの画像は脳の理解を深めるより、自分の研究の営業ツールとしての意味あいが強いことを自覚しているというのだ。これこそが本書の読書にとって、まさにアハ体験である。

これだけでは単なる同業者に対する批判に終わってしまいそうだが、本書はホンモノの脳年齢を維持する方法を教えてくれる。毎週三日に一回、有酸素運動として四十五分間のウォーキングをするだけで前頭葉の脊髄灰白質の減少が止まるというのだ。つまり、知的能力を長くたもつ最良の方法は、認知能力を鍛えることとはほとんど関係なく、体を鍛えたほうが良いというのである。まさに、一部の心理学者や脳科学者の「錯覚」を揶揄するようでじつに愉快である。

このエピソードは本書のテーマである五つの錯覚のひとつ、「可能性の錯覚」の章で紹介される。この章の見出しは「自己啓発サブリミナル効果のウソ」だ。本来の自分は潜在能力がもっと高いはずなのだが、ほとんど引き出せていない。そこで、聞くだけで頭が良くなるというモーツァルトの楽曲をかけっぱなしにしてみたり、手ごろな自己啓発書を読んでなんとかしようという人にとっては耳の痛い章になるはずだ。その二つともまったく効果はないというのである。

とはいえ、本書は自分の可能性を過大視している大衆を戒めるのが目的ではない。そもそも、自己啓発書を読む層は本書を手に取らないであろう。逆に自己啓発をしなくてもよい層にとっては、実験心理学的な裏付けのあるビジネス書、マーケティング書としても読むことができるかもしれない。ニューヨーク・タイムズやウォールストリート・ジャーナルなどの新聞が賛辞を贈る理由もよくわかる。

たとえば、自動車のドライバーがオートバイに気づきにくい理由は、オートバイが小さいからではなく、オートバイが自動車と違う形をしているからだという。ライダーがどんなに派手なウェアを着ていても期待するほどの効果はないらしい。そこで著者たちはオートバイのヘッドライトを自動車のように両側に離しておくことを薦めている。損害保険会社にとっては、オートバイのヘッドライト構造の違いで保険料を設定し、保険金支払いを最小化するための重要な情報になるかもしれない。

チェスプレーヤーの調査では、自分に対する評価が低すぎると答えた圧倒的多数は、対局成績が下位半分の人たちだったという。つまり、弱いプレーヤーこそが極端な自信過剰だったのだ。ユーモア感覚についての実験も紹介されている。最下位二十五%に入った、つまりユーモア感覚のない学生たちは、自分のユーモアのセンスは平均以上だと考えているというのだ。まさに笑えない話だが、部下や上司の実際の能力を知るために、自信のほどを聞くということは有効のようだ。

意思決定に関係する実験も紹介されている。グループ対抗で数学の問題を解く実験では、かならずしも数学に優秀な人がグループのリーダーになったわけではなかった。リーダーになったのはグループ内で一番先に発言した人だったというのだ。そしてグループとしての解答は、その最初の発言に強く影響されたという。

つまり、多くの人はリーダーの意見に左右されること、そしてリーダーは正しいことをいう人ではなく、最初に発言するようないわゆる声の大きい人だということである。ある種の課題に対する最適解を得るためには話し合いよりも、単純多数決のほうが正しい結論が得ることができる可能性がある。

ところで、多くの人が錯覚するのは相関関係と因果関係の違いである。アイスクリームの消費量が多い日は、水難事故の発生率が高くなるというのは単なる相関でしかない。両者とも気温と相関しているだけだ。著者たちは単なる相関関係ではなく、因果関係があるかどうかを確かめるためにはただ一つの方法、すなわち「実験」しかないと言い切るのである。つまり、観察するだけでは真実を突き止めることは不可能だというのだ。実験心理学の面目躍如である。

ほかにもアンケートを取るうえでの心理学的な陥穽や、悪意無き冤罪の作られかたなど豊富な具体例が紹介されていて、読者は飽きることがないであろう。参考文献も豊富であり、たんなる心理学の読み物で終わらせていない。原書のタイトルにもなっている実験ビデオも簡単にネットで見ることができる。本書は一般向けに書かれてはいるが、反証可能な専門書としての役割も果たしており、じつに頼もしい心理学書に仕上がっている。