『君は一流の刑事になれ』

君は一流の刑事になれ

君は一流の刑事になれ

マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(上) (講談社文庫)

WOWOWドラマWマークスの山」がはじまった。原作は1993年に書き下ろしハードカバー版を読んだ。2003年に文庫版として大きく書き直されているのだが、これは読んでいない。高村薫作品は壮大にして、おどろおどろしく、緻密にして、リアリティを追及するという印象だ。映像化にあたっては難しい作家ではないかと思う。

ところで、今回のドラマWはキャスティングが素晴らしいのだが、とりわけ刑事役の上川達也がはまり役だと思う。正確な職名は警視庁刑事部捜査第1課第3強行犯捜査部門強行犯捜査第7係主任である。胸には赤いバッジをつけている。この赤バッジになにが描かれているのかを知りたくてググっていたら本書に出くわした。表紙がその捜1バッジそのもので、S1Sと描かれている。Sousa 1 Selectの略だそうだ。下のmpdの3文字は警視庁の略である。

本書の著者は第62代警視庁捜査1課長である。捜査1課とは暴力団が関与しない殺人や強盗、放火などの凶悪事件を取り扱う。捜査2課は贈収賄、詐欺、特別背任などの知能犯、捜査3課は空き巣や盗難などを専門とする。ちなみにマル暴と呼ばれていた捜査4課は刑事部から組織犯罪対策部に移動した。

本書はタイトルどおり全国の刑事たちへ向けて書かれている。「はじめに」では「なぜ、刑事になったのか、どうして刑事になりたいのか。きっかけはいい。どう行動していくかだ。まずは、ホシを追い求める気持ちだけ持ってこい」と後輩のデカたちを鼓舞する。しかし、一般書店でも買える本であるから「一般の方々にも刑事がどのような苦労をしているのか知っていただきたいし、惜しみなく協力してくれるファンが増えてくれればという期待も込めている」とも書かれているのだ。

まさに本書を読んで、惜しみなく協力する気になったので本ブログで紹介することにした。第1章は死体なき殺人事件である。事件現場には飛沫血痕があり、住んでいた老女は失踪している。ホシの目星はついているのだが、「死体がない」という理由で担当検事は逮捕状を請求しない。そのうちに逃げ回っていたホシは首を釣って自殺するのである。この事件ではいまだに被害者の死体は発見されていない。見込み捜査批判や全面可視化に対抗しようとして書かれたものというよりは、被害者に対する熱い刑事の思いが伝わってくる。

第2章は「基礎力こそ突破力」として「野方署管内ガス偽装自殺事件」を取り上げる。まずは偽装自殺を見破る手順の説明だ。その地域のガスの種類が天然ガスに変更されていることや、「殺しの手」と呼ばれている「仏さん(被害者)」の死亡状況などから殺しと判断するのだ。しかし、小説のごとく密室になっている部屋から、ホシが天井裏を這って逃走したことについては、他のデカに突き止められてしまったのだ。このケースの教訓は、教訓1「情報の確認」教訓2「死体の囁きを感じ取る観察眼」教訓3「まさかこんなところから侵入した?―あり得る可能性の検討を怠った現場観察眼」である。このように本書はケーススタディを積み上げ、そこから教訓を抽出するという構成になっている。

第2章はこのケース以外に「綾瀬署管内女性殺人・死体損壊事件」「元看護師長殺人事件」「渋谷署管内傘による殺人事件」が取り上げられている。ところで、渋谷署事件では元捜査4課の係長が登場する。肝臓を患っているので心配した著者が捜査メンバーから外そうとすると、「この本部にきている捜査員はすべて俺の舎弟だ。いくら機捜の班長であっても俺を外すことは渡世の掟に背く。それは許されない」と答えるのだ。爆笑した。これは絶対に誇張ではない。じつはボクにも元捜査4課の友人がいる。パンチパーマに白メッシュの革靴。改造をほどこした凶悪そうな白いベンツに乗っている。新宿で飲んでいるときにボクに向かって「兄貴、ここは俺のシマだから、ゆっくりやってくれ」と真面目に言われたときも爆笑した。

第3章はDNA鑑定。第4章は外国人によるバラバラ事件などの難事件。第5章は複数被害者の殺人事件。第6章は「酒店経営者人質立てこもり事件」や「乳児・小学生誘拐事件」。最後の第7章は「若者たちへの道しるべ」としてデカたちへの言葉だ。この第7章が意外にも面白い。「デキる刑事の条件」としては「やるべきことは積極的に、確実にやる」「粛々として努力する」「刑事の仕事が好きである」「教えて学ぶことができる」「自分の考えがある」の5点だ。民間企業の新入社員にも有効なお言葉だ。「よき伝統を引き継ぐ」としては「お茶汲み3年」「コロシ3年、アカ8年」「声なき声を聞き、姿無きを見る」「ホシは足あり風の吹くまま」さすがにこれはデカ向けだろう。ほかにも「自分への投資はしているか」「見習いたい先輩を見つける」「酒は飲むもの」など、いわば大先輩のご教訓が続くのだが、凶悪な殺人事件のケーススタディの連続で息苦しくなったあとなので、すっきりするほどだ。

著者は警視庁で看守として働きながら夜間の大学を卒業し、昭和49年に捜査1課に異動している。その後は警視正までの全階級で捜査1課に在籍したプロ中のプロである。その間、鑑識課では現場主任、検視官、理事官を歴任している。すごい経歴だ。本書は警察小説好きであれば買って損はないであろう。また、捜査の全面的可視化についての議論でないがしろにされている「捜査の現場」についての知識も得られる本でもある。