『金銀忠臣蔵 仇討の収支決算』

金銀忠臣蔵―仇討ちの収支決算

金銀忠臣蔵―仇討ちの収支決算

アマゾンで「忠臣蔵」をキーワードにして調べると488点の書籍が見つかる。「赤穂浪士」の100点を加えると600点あまりの書籍が出版されていることになる。タイトルの重複があるかもしれないが、アマゾンで取り扱っていない本もあるはずなので、実際にはもっと多いはずだ。日本人はかほど赤穂浪士が好きなのだ。

歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」は「赤穂浪士の討入り」を題材にしているが、「道行」から「七段目」までの「お軽・勘平」のサブストーリーなどは完全なる創作だ。史実にも「お軽」という女がでてくるが、これは大石内蔵助の放蕩ぶりに手を焼いた親戚が紹介したセミプロだ。京都二条・二文字屋の18才の娘で、4-5の旦那に囲われ、1人から1両から5両をもらって暮らしていたという。

「七段目」は「祇園一力茶屋の場」だが、実際の内蔵助は一力茶屋で遊んではいないようだ。住んでいた山科に近い「撞木町」だったという。内蔵助は藩から預かった690両あまりの軍資金を流用していない。それどころか、お取りつぶしになったおりに藩士がもらった禄高100石につき18両の「立ち退き料」、すなわち退職金も受け取っていない。内蔵助は先祖代々蓄えてきた家の資金を使い果たそうとしていたらしいのだ。

「十一段目」はいよいよの討ち入りだ。この討ち入りに際して堀部安兵衛が用意したのは槍12本のほか、大槌5挺、大鋸2挺、竹梯子4挺など、槍と弓以外は大工道具のような構成だった。この武器などの調達については「十段目」で天川屋義平が助けたことになっている。ちなみに「十段目」はほとんど上演されないため、ボクは見たことはない。この武器の調達コストは内蔵助が書きつけた「預置候金銀請払帳」によると10両だったという。

というような忠臣蔵の収支について書かれたのが1998年に出版され、すでに絶版になっている本書だ。他にも東下りのハイライトである大井川の川越し料金表や、討ち入り前の蕎麦屋の費用など、金にまつわることごとが書かれている。なお、一般的に江戸時代を通じて1両は現在の10万円だと考えてよいようだ。