吉例顔見世大歌舞伎


朝10時30分から夜9時10分まで歌舞伎座にいた。それでもまったく飽きもしないかったし、心地よい疲れだけが残る素晴らしい舞台だった。先月の義経千本桜にひきつづき、現歌舞伎座の千秋楽が近づくにつれて、どんどん舞台も客席も盛り上がってくる。菅原伝授手習鑑の通しでもあろうものなら、切符は一般発売前に売り切れるかもしれない。ちなみに昼の部では小田島隆志氏ら演劇界の重鎮たちがずらっと客席に並んでいた。

仮名手本忠臣蔵は「大序」からはじまる。口上人形から登場人物の立ち上がりまで「いよいよ始める」という期待で胸がいっぱいになる。この間、かねて用意の「お稲荷さん」などを頬張りながら人形を見ているのも風情がある。昔の人はほんとうに凄い。新作ではこんな演出は絶対にできないであろう。

足利直義七之助がすっとしていて美しい。はまり役だ。塩治判官の勘三郎は当たりまえなのだが神妙だ。神妙な勘三郎に不思議な感じがするのはご愛敬。師直の富十郎がかっこ良すぎる。これでは敵役にならないのではないかと思われるほど凛としている。実も役もステキなジイさまだ。お膝お大事に。桃井若狭之助の梅玉が立派だった。見入ってしまう。この舞台に力を入れていることが分かる。

「三段目」。「門前」はともかく、「松の間」の富十郎梅玉の掛け合いが素晴らしい。二人ともはっきりとした口跡なので、歌舞伎の様式美のなかで師直のいやらしさや現実主義者の若狭をきっちりを伝えてくれる。そこへ判官勘三郎が現れる。判官は意外にも師直に対し「しょーがないジジイだなぁ」というところから芝居を始める。ジイさんであるがゆえの感情のエスカレーションが武士の一線を超えるという感じだ。そして刃傷。じつに端正な芝居という印象だ。あきらかに富十郎の個性があってこその舞台なのであろう。「三段目」だけでも元を取った気分になる。

いよいよ判官切腹「四段目」の「切腹」である。上使の1人を良く見ればなんと仁左衛門ではないか。驚くばかりの配役だ。段四郎とのコンビだ。しかも力弥は考太郎だ。しかもしかも考太郎はこの一役だけだ。しかもしかもしかも考太郎がじつに良いのだ。一役ではもったいなさすぎる。勘三郎がいよいよ腹を切る。もういつもの勘三郎ではない。「三段目」を引きずって、いまだ端正な舞台である。ひゃー良いものを見た、と思っているところへ顔世の魁春と由良之助の幸四郎が出てきた。一気にまったく違う世界に突入することになる。

あれよあれよと荒事化しはじめるのだ。幸四郎の台詞があまりに芝居がかっているので、いきなり酔っぱらいの侍が登場したのかと勘違いしてしまいそうだ。心なしか幸四郎の顔が赤ら顔に見えてくる。魁春もなにかコテコテで、花魁が出てきたのかと勘違いしてしまいそうだ。ポカンとしてしまう。ポカンとしたまま「城明渡し」まであっという間に終わってしまった。なんだったんだ。

たしかに判官は、師直の顔世に対する懸想にこだわっているようには見えなかった。まさか、コテコテの顔世にもはや思いはないという芝居でもなかろう。本当に不思議な感じがする「四段目」の後半だった。

気を取り直して、昼の部最後は道行である。今日も延寿太夫はいなかったが、菊五郎劇団のはじまりはじまりだ。やんややんや。花四天はいつもの俳優たちだ。全員キリリとした顔つきで、体格も揃い、動きも素晴らしい。名前をちゃんと覚えたいのだが、筋書きの写真と実物が一致しない。写真が古いのだろうか。この盤石の花四天の上で、わざとふらつく團蔵の演出が上手い。




「五段目」では千崎の権十郎と定九郎の梅玉がとても良かった。とはいっても、他に出ているのは菊五郎だけだから、全員とても良かったわけだ。

いよいよ「六段目」だ。芝翫が一文字屋お才だ。あたりまえだが、そこにいるだけで芝翫だ。舞台は一気に引き締まる。時蔵のお軽は美しく気品があり、さすがは忠義者勘平の恋女房だけのことはあると思わせる。勘平の「お軽待て」で崩れるように抱かれにもどるお軽。あぶなく泣きそうになってしまったではないか。ともかく物語は形通りにじゅんじゅんと進む。そこが菊五郎の良いところだ。お気に入りの美しくて粋な歌舞伎役者を眺めて楽しむことがまずは大事。

「七段目」は「祇園一力茶屋」だ。ここでお軽は福助に交代だ。と、同時にお軽はいきなり完全な遊女になってしまっていて、最後まで気品のかけらもない。はじめてこの狂言を見た観客は、時蔵のお軽と福助のお軽が作中同一人物であるとは理解できないであろう。そこへ幸四郎の寺岡平右衛門が現れて、ドタバタと話は進んでいく。一日通しで芝居を見るときに幸四郎は鬼門だ。疲れてしまうので、つい斜に構えて見てしまう。結果的にポカンとしてしまうのだ。

ところが最後が違った。仁左衛門の由良之助が3日目でとんでもない高みに上がっている。素晴らしい出来だ。感動した。こんなに力が入っていては仁左衛門は大変であろう。本当にお身体お大事に。

「十一段目」は歌昇錦之助のチャンバラがすごい。3日目でこうだから、楽近くになると凄い切り結びになっているに違いない。今回は「七段目」で帰らないほうがお得である。ともあれ一日を通じて、映画でいうところの助演陣が素晴らしい。段四郎、考太郎、七之助権十郎團蔵東蔵梅玉歌昇錦之助らが各段で大活躍だ。それゆえに充分以上の満足感が残った。