五月大歌舞伎・夜の部

今月の歌舞伎座は圧倒的に「夜の部」が良かった。昼夜ともほぼ同じ役者が出演しているのだが、全く異なる印象が残った。

夜の部の口開けは「毛剃」だ。ストーリーはあまりに大らかすぎて現実感が全くない。その非現実世界の主人公を団十郎が見事に演じている。おおらかな12代目の良さがほとばしる。有名な「汐見の見得」も、危険極まりないフラフラとゆれる高い船のセットの上でたっぷり。じつに雄大で名演だと思う。近松ものなのに荒事っぽく始まる舞台だが、藤十郎の宗七が登場すると一気に上方になる。紙衣(かみこ)なので吉田屋っぽい。小女郎は菊之助より福助で見たかった。

「夕立」は菊五郎時蔵の二人。これが素晴らしかった。15分程度のほぼ無言の舞踊劇だが、時蔵演ずる滝川の心の動きが細やかに表現されていて、1時間の演劇を見ているような錯覚にとらわれる。大向こうも「音羽屋」よりも「萬屋」の掛け声が多い。

海老蔵主役の「神田ばやし」は昭和の歌舞伎だ。ストーリーは大らかさも、奇矯さも、空想性も、形式美もなく、合理的・説教的でつまらない。しかし、大見得を切らない海老蔵を見て、改めていい男だと思う。実直すぎて間抜けに見える役を奇をてらわずに演じていて「海老さま!ス・テ・キ!」感がある。三津五郎の彦兵衛がこれまた素晴らしい。

最後は海老蔵菊之助松緑の舞踊「おしどり」だ。いやはや、うっとりだ。これからの歌舞伎界を背負って立つ3人による、けれんみたっぷりの舞踊だ。もはや若手ではない。客席に対してどうだ参ったかか、という舞台なのだ。参りました。あなたたち素敵すぎます。

ところで、今日は楽屋に入れてもらった。じつは歌舞伎座が取り壊される前に見ておきたいと時蔵さんにお願いしたのだ。感想は「テレビで見たとおり」だ。狭くて、モノでぎっしりの舞台裏だ。しかし、部外者にとってはそれこそが風情があって、歌舞伎そのものだ。日本人として生まれて本当に良かったと思った。