『江戸の病』
- 作者: 氏家幹人
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/04/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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タイムマシンがあれば江戸時代には是非行って見たいのだが、住んでみたいとは思わない。病気になったら諦めるしかない時代だったからだ。その実態をまとめたのが『江戸の病』だ。著者は『かたき討ち』や『殿様と鼠小僧』など、江戸時代の風俗の一つにテーマを絞り、マーケティングのリサーチレポートのように記述する研究者だ。歴史読み物が好きな人からは評価が低いようだが、マーケッターとしては読みやすく、資料性もあって好ましい。
江戸時代には感染症に対する知識も治療法もなかった。病が流行っていることは判っても、微生物などに対する知識がないのだから、感染経路など知りうるはずもない。まもなく明治という文久2年(1863年)にはコレラとハシカのミックス流行が発生し、江戸だけで23万人が死亡したという。4人に1人が死亡したことになる。天然痘も流行したが、本書によれば天然痘よりもハシカのほうが恐れられていたという。
梅毒もすごい。旧江戸市中から出土した900以上の頭蓋骨を調べた古病理学者によると、梅毒患者は54.5%に達しているらしい。江戸っ子の2人に1人が梅毒だったというのだ。この梅毒に効能があるとして草津温泉や有馬温泉は大変な人気があった。医師の杉田玄白は梅毒の薬として塩化第二水銀を処方しており、年収は643両にも達した。現代の価値にして6500万円になる。
この現状に対して医術は無力だった。サギ師と区別がつかない医者が町中にはびこるなか、庶民は自宅に薬草や薬木を植えて自衛した。母乳をやり取りし、薬草も融通しあった。薬屋も現代からみると出鱈目で、鶴やキツネの肉も薬として売られた。現代でも人気のある葛根湯なども使われていたが、これも庶民が自家製造していたらしい。
「あとがき」で著者がいうように、じつは本書は「江戸の病と情」の本だ。病気に対して達観していた江戸人は家族や友人、主従が互いに思いやりもって補いあっていたことが資料から見てとれる。