『兵士は起つ』

 

兵士は起つ―自衛隊史上最大の作戦

兵士は起つ―自衛隊史上最大の作戦

陸海空の自衛官を描いた『兵士に聞け』から足掛け18年、本作で5作目となる兵士シリーズの最新刊である。自衛隊は国と国民と守ることを義務付けられた巨大組織であるにも関わらず、その発足から長い間「日陰者」として扱われ、顧みられることはなかった。杉山隆男イデオロギーや観念論から決別し、ひとりひとりの自衛官に密着することで、自衛隊とは何者かを探り出そうとする現場の人だ。

本書の副題は「自衛隊史上最大の作戦」。もちろん東日本大震災における災害派遣だ。発災から2ヶ月間、自衛隊は10万人体制で被災者支援を行なってきた。派遣された自衛官自身が被災者であったり、原発事故現場に向かう決死隊であったり、それが彼らの仕事であり義務であると知っていても、映像を見て胸を打たれた人も多かったであろう。
 
本書にも勤務中に津波に飲み込まれながらも懸命に人命救助にあたる自衛官たちが登場する。かろうじて3歳と1歳の娘たちは祖母に助けられたものの、任務のために2ヶ月も自宅に帰れなかった女性自衛官が登場する。多くの自衛官は勤務中の発災だったため、家族の安否を確かめる前に災害派遣地へと向かったのだ。

彼らの任務は生存者救出からやがて遺体捜索へと切り替わっていく。一家で逃げようとしていたのか、バッグを肩に掛けた父親と3歳くらいの幼子の手を握りしめた若い母親の遺体を発見するときもある。おばあさんと5歳くらいの女の子と乳幼児の姉妹の遺体を目にすることもある。そのとき隊員たちは現場を飛び出して嗚咽し、深呼吸をしてから任務に戻るのである。

平素は必要悪であるとして軽んじ、有事になれば命を賭けよとは、国民のわがままがすぎる。本書の等身大の自衛官から学ぶことは多いはずだ。

(2013年3月9日 産経新聞掲載)

歌舞伎DVDを買う

松竹が歌舞伎座新開場記念として、DVD「歌舞伎名作撰 第3期」を先行販売するという。しかも4月29日締切という念の入れようで。訳が判らない。17巻全部を買うとAmazonでも6万円以上になるはずで、とても付き合いきれない。しかし、欲しいものは欲しい。厳選して6巻を選びだして予約注文した。丸本物も上方物もないのがご愛嬌。

このセットに第1期と第2期から「白浪五人男」「伊勢音頭恋寝刃」「梶原平三誉石切」と歌右衛門の「十種香・建礼門院」なんぞを加えると成毛好みの出来上がり。ともあれ、この散財が悔しいので松竹の株式でも買おうかねえ。それじゃあいよいよ本格的な「松竹の肥し」となってしまうのであろうか。


『ウィルス・プラネット』

ウイルス・プラネット (ポピュラーサイエンス)

ウイルス・プラネット (ポピュラーサイエンス)

ウイルスをテーマとしたサイエンス・エッセイだ。取り上げられているのはタバコモザイクウイルス、ライノウイルス、インフルエンザウイルス、バクテリオファージ、ヒト免疫不全ウイルス、天然痘ウイルスなど13種のウイルスである。それぞれのウイルスのカラー電子顕微鏡写真が付いていて1500円。1ウイルスあたり115円ちょっとだ。考えようによってはじつに安い買い物なのだ。

最初のテーマはタバコモザイクウイルなのだが、それに先立ってウイルスとは何かについて意外な方法で理解させてくれる。著者がまず取り出したのはメキシコにある「巨大結晶の洞窟」だった。

写真の左右に見えるオレンジ色の物体は人間である。結晶化している鉱物は透明石膏だが、気温は58度を超え、湿度は100%近いため、宇宙服のような装備で調査しているのである。ともかく、この人類どころか、すべての生きものから隔絶した洞窟からウイルス学者は水のサンプルを取ってきたのだ。そして発見したのは水1滴中に存在するおよそ2億個のウイルスだった。

となると、もしかすると人間の身体にも未知のウイルスが存在するかもしれないと、2009年サンディエゴ大学のチームが研究を開始した。かれらが発見したのは一人あたり平均174種のウイルスが存在し、しかもそのうちの90%が未知のウイルスだったというのだ。ところでウイルスという言葉はタバコモザイク病という植物の病気の研究から生まれたものだ。研究は19世紀にはじまり、いまだに謎だらけであるという。「さあ、どんな謎があるのかこれから探検してみよう!」までが本書の第1章、すなわち115円分ということになる。

タバコモザイクウイルスにつづく章のテーマはライノウイルスだ。普通の風邪のことだ。著者はここでも古代エジプトの書物や古代ギリシャヒポクラテスなどから、現代発見されているHRV-Cまでのライノウイルスとその功罪について軽快に解説する。ウイルスを殺す薬がない以上、風邪薬は注意して飲まなければならないことや、子どものころに風邪によく感染したひとは成人してアレルギーやクローン病にかかりにくいことなど、ある程度の知識を持つひとにとっては常識でも、意外に多くのひとに知られていない医学的事実もさらっと教えてくれる。これで115円である。

半世紀近くサイエンスの本を読んできたのだが、本書を読んではじめて知ったこともある。海洋ウイルスについてだ。生物未踏の地下洞窟にもウイルスがいたのだから、当然海の中にはウイルスはうじゃうじゃいるに違いない。1986年ニューヨーク大学の大学院生が発見したのは1000億個ものウイルスが海水1リットル中にいたことだった。海水中のウイルスをすべて集めると、その重さはシロナガスクジラの7500万頭分になるという。

それどころではない海洋ウイルスは毎秒10兆個の微生物に侵入し、毎日世界中の海にいる全細菌の半分がウイルスによって殺されているというのだ。壮大すぎて目がまわる。この海洋ウイルスの大気への影響や光合成への関与などさらにお話は続くのだが、それは本書を読んでのお楽しみである。これでも115円だ。

訳文はサイエンス本にはあるまじき「ですます体」である。最初の数ページは違和感を覚えたのが、これが本書にじつに合っていた。本文のデザインも素晴らしく、2013年HONZ翻訳物編集賞候補作だ。

『量子革命』2013年2冊めのNo1でいいでしょ

 

量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突

量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突

4月13日、第2回将棋「電王戦」5番勝負の第4局が行われる。第3局までは4段・5段の棋士だったが、いよいよA級棋士の登場だ。A級棋士とは160名ほどのプロ棋士のうち1年間の順位戦を戦い、勝ち抜いてきたトップ10人のことをいう。対する電脳は第22回コンピュータ将棋選手権を勝ち抜いてきたプログラムたちだ。最終局に登場するのは東京大学にある800台近くのPCを接続し、1秒間に2億8千万手を読む最強将棋ソフト、GPS将棋である。将棋1局の対局中に可能な指し手の組み合わせ数は10の220乗。それでもなお、今年は人間が勝つであろう。なにしろ棋士たちは天才なのである。

5手詰めの詰将棋ですら解けないにも関わらず、棋士を描いた本を好み、テレビの対局番組を見たりするには訳がある。野球や格闘技にさほど興味のない分、棋士たちこそが自分にとってのヒーローであり、盤外の言動も含めて興味津々なのだ。その棋士に勝るとも劣らない知的ヒーローがいるとしたら、それは20世紀初頭の物理学者たちであろう。もちろん、過去にはガリレオニュートンなど突出した科学者がいた。21世紀の現在も多数の尊敬するべき科学者たちがいる。しかし、20世紀初頭の物理学者たちほど、個人が相互に連関し、まさに光速で理論と実験を繰り返し、国境をこえて師弟関係を構築し、論争した時代はない。それは天才たちが量子力学という新しいゲームのルールを作りながら、覇を競っていたからだ。

本書『量子革命』のカバー裏には第5回ソルヴェイ会議の写真が印刷されている。1927年10月ブリュッセルで行われたこの会議には29人の物理学者が招待された。キュリー夫人アインシュタインはもちろん、ニールス・ボーアやマックス・プランク、ハイゼンベルグなど17名のノーベル賞受賞者が参加した。ローレンツ、コンプトン、パウリ、ウィルソンなど物理量の単位名や現象名、実験装置などに名前を残した人たちも参加している。

この1927年前後というのは量子力学にとって前後期の境目になる年代だった。1900年マックス・プランクよるエネルギー量子仮説、1905年アインシュタインによる光量子仮説、1923年コンプトン効果の発見、1924年ルイ・ド・ブロイの物質波仮説、などによって量子力学の基礎的な理解が深まってきた。その後、1925年ハイデルベルグ行列力学、1926年シュレディンガー波動力学、ボーア研究所によるコペンハーゲン解釈へと続き、現代物理学へと繋がっていく。しかし、これではいかにも辞書的な量子力学史の記述である。

それぞれの仮説や発見などなんとなく分かったような気にはなるのだが、それは見事に名付けられた仮説や発見の名称によることが大きい。たとえばアインシュタインの光量子仮説とは「これまで波だと考えられてきた光は、じつは粒子でもあるという仮説」であろうことは想像に難くない。事実そのとおりなのだが、アインシュタインは黒体放射のエントロピーの体積依存率がどんな式になるかを調べた結果としてこの仮説を生み出したのだ。しかし、これではなんのことだか判らない。

本書の素晴らしさはこの光量子仮説についてニュートン力学にまで遡って丹念に説明することはもちろん、アインシュタインはなぜこの仮説を思いついたのか、仮説を証明するための実験や次の物理学的発見にどうつながったかなどについて、流れるような文章で紡ぎ上げていることだ。アインシュタインの生まれ育ち、仲間の物理学者たちとの繋がりなどについても、密度濃く丹念に語りつくす。

もちろん、この光量子仮説とアインシュタインについては本書のなかのたった一章でしかない。全15章は前期量子論期とも言うべき時期の第1部、ハイゼンベルグシュレディンガーによる量子力学の基礎完成期の第2部、確率解釈をめぐっての直接的論争期の第3部、その後の物理学の第4部にわかれて編集されている。その底層となるのはアインシュタインとボーアの論争である。

この論争を踏まえて、本書は見事な言葉で締めくくられている。引用は憚られるが、物理学の読み物であるにもかかわらず、おもわず目頭が熱くなったほどだ。訳者の青木薫さんもまた「訳者あとがき」で『ニューヨーカー』誌から物理学者デーヴィッド・ドイチェの言葉を引用してこれを補完している。アインシュタインは果たして論争の敗者であったのだろうか。それとも21世紀以降の物理学をさらに前進させるための松明として復活するのであろうか。

本書は絶版になる前に買っておくべき本の筆頭であろう。じっさいに読むのは数十年後でも良いかもしれない。20世紀初頭の物理学史が書き換わるとも思えないから、中身が古くなることはないだろう。物理学がさらに発展することは間違いなく、コペンハーゲン解釈の新解釈などが生まれるかもしれない。その時のテキストとして本書は最適なのかもしれない。ともあれ、世紀を超えて真実を探求する物理学と物理学者たちの面白さを、これほど手際よく書き上げた本をほかに知らない。ラザフォードとボーアの人間関係、ハイゼンベルグと仲間たち、量子力学に関する記述を飛ばして人間ドラマとして読んだとしても素晴らしい読み物である。本書を2013年No1の2冊目としておすすめする所以だ。

成毛真の「これって暴論?」 第4回

 

團十郎と「フォーマット文化」

歌舞伎役者の市川團十郎が亡くなった。中村勘三郎に続く大名跡の訃報は歌舞伎界に計り知れない衝撃を与えた。演劇関係者はもちろん、歌舞伎ファンも唖然呆然とするばかりである。亡くなった團十郎は十二代目。350年前から続く名門の当主でもあった。

團十郎は小器用な役者ではなかった。一本調子のセリフ回し、ヌボーッとした佇まい、それでいて妙な可愛らしさ、それこそが團十郎だった。團十郎がどんな扮装をし、たとえ後ろ向きで舞台に登場しても瞬時にそれと判った。つまり、その存在を誰ひとり真似ることができない役者だった。それゆえに歌舞伎界は勘三郎の死と同等かそれ以上にショックを受けたのだ。

ユーミン桑田佳祐が歌う曲は最初の1秒を聞いただけでもそれと判る。声と歌唱法が凡百のアーティストの次元とまったく異なるからだ。もっと美しい声の持ち主もいるだろう。もっと上手な歌い手もいるはずだ。しかし、ユーミン桑田佳祐はその圧倒的な個性ゆえ、いまでもスーパースターでいつづけられるのだ。

藤田嗣治平山郁夫の絵画も、その一部分を見ただけでそれと判る。色と形が平均を逸脱しているからだ。だれも真似することができない芸術であり、それゆえに美術史に残ったのである。文学における村上春樹や映画における北野武などもそうかもしれない。

このように、ある分野で圧倒的な立場を狙うのであれば、いかに平均を逸脱するかがポイントとなる。しかし、音楽にはメロディーとハーモニーがあり、文学にはそもそも言語という制約があるように、基本となるフォーマットそのものから逸脱してしまったのでは、単なるノイズになってしまう。

じつは歌舞伎やオペラが面白いのはそのフォーマットが時間的な積み重ねのなかで、現代の芸能以上にはっきりと示されているからだ。堅苦しく古めかしいのだが、フォーマットがはっきりしているがゆえに、役者の個性がかえって光る。歌舞伎はストーリーを楽しむというよりも、役者を見に行く芸能だといわれるゆえんだ。

ビジネスに目を転じてみると自動車は世界共通フォーマットで作られている典型だ。ハンドルの形状、アクセルとブレーキのペダル位置など、発明直後にはバラバラだったものがいつしか単一フォーマットに収斂した。トヨタがその中で抜けだしたのは、トヨタ生産方式というパラノイア的な生産性改革をたゆまず続けているからだといわれる。

絶頂期のソニーもラジオ放送やカセットテープなど、すでに存在するフォーマットに準拠しながら、日本初のトランジスタラジオやウォークマンといった、突出したヒット商品を送り出してきた。

ひるがえって現代の日本企業は創造性や独創性という言葉に踊らされ、フォーマットそのものを作ることを夢見て失敗する例が多い。ガラパゴス携帯こそが良い例だ。ビジネスマンもフォーマットとは何かを体感するために、たまには歌舞伎などに足を運んでも良いかもしれない。
クーリエ・ジャポン4月号掲載)

成毛真の「これって暴論?」 第3回

 

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 04月号 [雑誌]

COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 04月号 [雑誌]

文楽という・ソフトウェア

橋下徹氏が大阪府知事として関西政界に登場して以来、一貫して文楽への補助金をカットする政策を取り続けている。2013年度は補助金を前年度と同額の3900万円とした上で、国立文楽劇場の有料入場者数が9万人以下なら2900万円を減額するという。日本人に対して文楽そのものを人質にし、見に来なければお取り潰しにするぞと脅したようなものである。

ちなみに大阪市の12年度の予算は3兆6000億円あまり、大阪府と合わせると7兆5000億円にもなる。橋下氏は予算削減を狙うというよりも、大阪公演での入場者数が少ないことに腹を立てているとしか考えられない。東京の文楽公演は満席が続くのだから、大阪人同士の近親憎悪なのかもしれない。

江戸時代初期に大阪で誕生した人形浄瑠璃は、その初期形態をいまだに維持している世界でもまれな芸能だ。300年以上も前に使われていた大阪弁で、聞きなれない太棹三味線の旋律にあわせて物語を語るのだから、聞き流してしまうとまったく理解できないこともある。初心者はイヤホンガイドがなければ10分で飽きる可能性がある。しかし、そのこと自体に価値があると思うのはボクだけなのだろうか。

文楽の祖である竹本義太夫の数十年前に活躍したシェイクスピアも当然のことながら当時の言葉で作品を書いていた。英語史では初期近代英語と分類される。初期近代英語で"You have no friend."を表すと"Friend hast thou none."だ。文楽と同様、ネイティブ・スピーカーですら注意深く聞いていないとわからなくなるという。イギリスでは初期近代英語を使ったシェイクスピア劇は娯楽というよりは知的・趣味的な色彩が強い。

そのためイギリスでは当時の言葉のままでシェイクスピア劇が毎日演じられる常設劇場はないし、文楽の大夫のような初期近代英語専門の俳優もいない。建国250年にも満たないアメリカはそもそも伝統演劇を持っていない。京劇は中国の古典演劇として知られているが、文化大革命期には演じられることもなく、1990年にやっと200周年のイベントを行った程度だ。

翻って日本では、300年前にはじまった文楽はむしろ新しい芸能であり娯楽だ。世阿弥によって確立された能は以来600年以上の歴史を持ち、いまでも観世流だけで東京に70ヵ所もの稽古場をもっているほど盛んだ。宮中でいまも継承されている雅楽にいたっては1000年の歴史を持つが、現代においても東儀秀樹などのスターを生み出している。

もちろん、ギリシャ悲劇やローマ時代の演劇など、能や文楽などよりも1000年以上前に盛んだった演劇もあるが、現代は行われていない。演劇における日本の特殊性はそれが始まったころの演劇様式をそのまま何百年も継承してきたことだ。日本にはサン・ピエトロ大聖堂ウエストミンスター寺院などのような荘厳なハードウェアはない。しかし、雅楽能楽文楽や歌舞伎といったソフトウェアは連綿と継承しつづけている。それこそが他国民が逆さまになっても絶対に手にすることができないものなのだ。何百年という時間はお金では買えないのだ。
クーリエ・ジャポン3月号掲載)

成毛真の「これって暴論?」 第2回

 

「生き方のお師匠さん」を偲んで

「父母ともに野辺の送りや花小袖」

過日、57歳の若さで亡くなった十八代目中村勘三郎の句だ。この花小袖とは歌舞伎の演目「身替座禅」の舞台で使われた衣装のことである。十八代目は先代勘三郎と母親の葬儀にあたって、その花小袖を野辺送りのお棺に掛けたという。のちに35歳になった十八代目は「四国こんぴら歌舞伎大芝居」で、その花小袖をまとい「身替座禅」を演じている。まさに父親の身替を思わせる熱演だった。

12月5日、入院中の病院から無言の帰宅をした勘三郎の布団には「船弁慶」の小袖が掛けられていた。長男の中村勘九郎と次男の中村七之助の兄弟は父親の死にあっても京都南座での襲名披露の舞台に立っていた。「船弁慶」はその演目の一つだったのだ。掛けられていたのは先代勘三郎が使っていた静御前の小袖だったのであろうか。

連綿とつづく芸の継承はこのような時でも揺らぐことがない。生前、十八代目は「型があるから型破り、型がなければ型なしだ」という言葉を何度も語っていた。舞台の上だけではなく死の床であっても型を継承しつづけるからこそ、歌舞伎は日本が世界に誇る伝統芸能なのだ。

いっぽうで十八代目は、「どうなるか判らないというのはワクワクするねえ」と食道ガンの手術で入院する前日のインタビューに答えている。次の日には10時間を要する手術が予定されていた。しかも、ガンがリンパに転移したことが判明し、生存率が12%から30%だと医師に告げられたあとのことだ。

たとえ困難が待っていたとしても、苦痛が約束されていたとしても、勘三郎は自分の身に振りかかる未来に飽くなき好奇心を持っていたのだ。歌舞伎公式サイト「歌舞伎美人」のインタビューでも、「勘三郎さんの求心力、パワーの源は?」と聞かれて、「そりゃあもう…好奇心でしょうね。思ったらすぐに行動して。それに運ですね。人と会って話すっていう事も大事ですかね」と答えている。

勘三郎の凄さは、歌舞伎古来の型をきっちりと身体の中に叩きこんでいるにもかかわらず、子供のような好奇心を死ぬまで持ち続けていたことである。子供なのだから、失敗を恐れずにあらゆることを試してみた57年だった。有名になったニューヨーク公演などはもちろん、評判芳しくない宮藤官九郎作の新作歌舞伎など、次々と新しいことに挑戦していた感がある。

歌舞伎ファンは勘三郎を見ながら、お楽しみはいよいよこれからだ。だんだん大人になるであろう、これから20年の勘三郎は如何ばかりかと、本当にワクワクしていたのである。その矢先の出来事だったのだ。

人間はかならず年をとる。いつかは50になり70になる。そのときになっても、こいつのこれからの20年が楽しみだと言われるような生き方をしてみたい。勘三郎はそのような生き方のお師匠さんだった。仕事のテクニックなどは本から学べるが、生き方を学ぶには人物を見るのが一番だ。たまには本を捨て、劇場に向かおう。

クーリエ・ジャポン 2月号掲載)